2012年04月20日

如是我聞 円和の合氣道

成田新十郎氏が著者で、平成22年(2010)11月にBABジャパンから出版されました。副題は『平井稔翁が示した「腰の回り」妙技』となっています。

平井稔は光輪洞合気道を興した人で、光輪洞合気道はWikipediaなどで開祖の合気道とは別系統の武術であると説明されています。これは、平井稔が、そのように言っているからで、決して開祖の流れを汲んでいないということでありません。平井稔の主張するところは、Wikipedia「合気道」に記載があります。戦時中、皇武会が大日本武徳会に包摂された時、皇武館道場の総務であった平井稔が、開祖の代わりに武徳会に派遣されています。
平井稔は「手八丁口八丁」の人であったと聞いていますので、渉外能力に優れた人ということだけではなく、腕も立ったということです。剣術は東軍流、奥村二刀流、柔術は竹内流、起倒流、槍術は佐分利流を修していたとのことなので、各種の武術に秀でた人で、短い期間に開祖から技を盗み取ることができたようです。開祖との接点は昭和14年(1939)〜17年(1942)であったようです。共通点があるので、合気道をやっている人は、ある程度この本の内容が理解できると思います。同名のDVDが発売されており、YouTubeで「成新会合気道」と入れて検索すれば、動画を見ることもできます。

「腰の回り」は竹内流の腰廻小具足(腰之廻)という言葉から来た技法ということですが、むしろ合気武道(当時)の影響を受けた(盗んだ)もののように思われます。如是我聞(このように私は師から聞いた)ということなので、シモクと聞いた言葉は「撞木(しゅもく)」のことで、半身の立ち方を指しているようです。「キノミワザ タマノシズメアリ ミソギワザ ミチビキタマエ アマツチノ神」は道歌の「気の御わざ 魂の鎮めや 禊技 導き給へ 天地の神」からでしょうが、この道歌が伝え残されているところから、光輪洞合気道も気の武道の流れであることが分かります。

気の武道ということで、この本に書かれていることは心法(心術)が主体です。「心を修する神(真理)に近からんことを念願する」で、「第一の心(自分の意識に上る自分で分かるもの)技術の世界」と「第二の心(物を物たらしめている本質)心術の世界」とに分けられた「第二の心(一つの事物に執着することのない、自由自在なハタラキを発現する心)」の鍛錬を目指している人には為になる本だと思います。
開祖の道文に出てくる「皆空(みなくう)」という言葉を理解する上で、この第二の心が参考になります。「円は皆空で、皆空の中から生み出すのが心であります。皆空とは自由自在のことであります」(合気神髄p.120)、「念を去って皆空の気にかえれば生滅を超越した皆空の御中心に立ちます」(合気神髄p.80)などは、第一の心(念)と第二の心(皆空)というように理解することができます。「引力の錬磨」なども「中心帰納」と比較すれば理解しやすいでしょう。
開祖の「合気」を「相手を無力化する技術」という大東流と同じ解釈をするより、平井稔の「自己を完全に滅却しなくては、自由即ち自己第一義にはなりえない」と同じだとする方が的(正鵠)を得ていて、「無抵抗主義」という言葉と関連付けて理解できると思います。「合気」について、「相手に好むところを与えて、相手自ら敗れるということ」という説明もされています。まるで開祖と同じです。

気の技は体技よりも表現の幅が広いので、外見は合気道と光輪洞合気道(円和の合氣道)とは全く違ったものに見えるかもしれませんが、同じ武道の真髄から発しているものです。何度も読んで、その時の自分の到達した境地と比較するとメルクマール(指標)になると思います。
内容理解が難しい本だとは思いますが、「解ったらいかん、感じなさい」ということですから、まず、「接触点は動かさない(そこから我が作用を相手に与えて、相手を自分の思うようにしようとしない)」から始めて、「先を取ろう取ろうと思うほど、先とはならない。そう思わなければ先となる」の方向に進む中で感じ取って行くことできれば良いと思います。

主な内容は、修道の訓え、体捌き、腰回り、思わざる、氣、合氣、母体武道、自動安定化反射、中心帰納、シモクなどで、用語解説も付いています。タイトルの円和は、球転無窮、流転と同じで、根本原理とされています。

なお、平井稔は、「体捌きというものは、各種の武道の型のようなものから、それを整理統合して作り上げたものではない、球理体得法として、心の表現法としての独創であるところに、平井稔の誇りがあるのである」と明言していて、大正末に自ら編み出したと言っています。戦時中に早期停戦を望むグループで活動したということなので、技も心も開祖と同じ方向を向いていたようです。それで、昭和14年(1939)に開祖と邂逅した時、意気投合して、行動を共にしたのではないかと思います。
posted by 八千代合気会 at 09:46| お勧めの本

2012年04月04日

真の合気の道(2)

この“宇宙の真髄(真理)から出てきた武道だから真の武道であるということができる”という言葉は重要です。神示だけでなく、きっと宇宙の真理に基づくように開祖が苦心して組み立てられたものが合気道になっているので、このように表現されているのだと思います。

開祖の合気道を植芝流として、ある流儀の一派であるという分類をして済ませるのは合気道を求める人にはふさわしくありません。それでは、開祖が「よし、この合気をもって地上天国を作ろうと思い立った」という程の動機にはなり得ず、私たちも合気道の本質を見誤るからです。また、「合気の道」は「合気という根本技法を使う武道」という意味ではないので、ここのところをしっかりと弁えていなければ「真の合気の道」に至ることが出来ないことになってしまいます。
稽古の段階に応じて先に見えるもの(ビジョン)は少しずつ変わってきますが、ビジョンがはっきりしていなくてゴール(武道のある境地)に至ることが難しいことは容易に理解できると思います。私たちは、「合気道は全く愛の武道でなければならないということです」というところにビジョンが合っているでしょうか。そして、「愛」という意味を正しく把握しているでしょうか。
私の兄弟弟子が、「技の根底に『相手を思いやり、理解する』という思想があります」と言っていますが、私もそのような意味で「愛」を理解しています。呼吸力は、この愛に根差した力となります。

開祖の言葉の「そしてその宇宙は一つのものから分かれてできていて」という部分は、合気道新聞(第158号 昭和49年2月10日)に『宇宙の根元』として次のとおり掲載されています(『合気神髄』pp.110-113)。
「一霊四魂三元八力の大元霊が、一つの大神の御姿である。大神は、一つであり宇宙に満ちみて生ける無限大の弥栄(いやさか)である。即ち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である。その大虚空に、ある時ポチ(大本ではホチと発音する)ひとつ忽然として現る。このポチこそ宇宙万有の根元なのである。そこで初め湯気、煙、霧よりも微細なる神明の気を放射して円形の圏を描き、ポチを包みて、始めてスの言霊が生まれた。
これが宇宙の最初、霊界の初めであります。そこで宇内(うだい、宇宙)は、自然と呼吸を始めた。神典には、数百億万年の昔とあります。そして、常在(すみきり)すみきらいつつ即ち一杯に呼吸しつつ成長してゆく。ゆくにしたがって声がでたのである。言霊がはじまったのである。キリストが「はじめに言葉ありき」といったその言葉がそれで、その言霊がスであります、これが言霊の始まりである。
このス声(ごえ)は、西洋にはこれに当てる字はなく、日本のみにある声である。これが成長してス、ス即ち上下左右のス声となり丸く円形に大きく結ばれていって呼吸をはじめるのである。
ス声が成長して、スーとウ声に変わってウ声が生まれる。絶え間ないスの働きによってウの言霊が生じるのである。
ウは霊魂のもと・物質のもとであります言霊が二つにわかれて働きかける。みたまは(霊魂と物質の)両方をそなえている。一つは上に巡ってア声(天)が生まれ、下に大地に降ってオの言霊(地)が生まれるのである。上にア、下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。
高天原(たかあまはら)というのは、宇宙の姿である。宇内の生きた経綸の姿、神つまります経綸の姿なのである。一家族も一個人もそれぞれ高天原(大宇宙の一部の小宇宙)であり、そして呼吸して生々と生きているのである。
高天原とは一口でいえば、全く至大天球成就おわるということになる。これ造化開闢の極元なり。高天原の意をより理解して、神の分身分業をなしてゆくところに合気道ができるのである。
宇宙の気、於能碁呂島(おのころじま)の気、森羅万象の気、すべての霊素の道をつづめて、そして呼吸を合わせて、その線を法則のようにして、万有の天の使命を果させるのである。そしてその道それぞれについて行うところの大道を合気道という。
合気道とは、いいかえれば、万有万神の条理を明示するところの神示であらねばならないのである。過去−現在−未来は宇宙生命の変化の道筋で、すべて自己の体内にある。これらをすみ清めつつ顕幽神三界と和合して守り、行ってゆくものが合気道であります。
宇内の活動の根源として七十五声がある。その一つ一つには三つのキソク(規則、帰属?)がある。イクムスビ(△、生産霊)タルムスビ(○、足産霊)タマツメムスビ(□、玉留産霊)である。
八力がアオウエイの姿であり、国祖クニトコタチノミコト(国常立命、艮の金神)の御心のあらわれである。トヨクモヌノオオカミ(豊雲野大神、坤の金神)との交流により五つの神の働きが現れるのである。かくて八大引力が対照交流し動くとき軽く澄めるものは天に昇り、濁れるもの汚れものは下へ、地へ降った。天と地が交流するたびに、物化して下降、交流しては下降し、だんだん大地化してきた。これがタマツメムスビの大神の神業である。イクムスビ(生産霊)、タルムスビ(足産霊)、タマツメムスビ(玉留産霊)の三元が整うと、宇宙全体の姿が出来上がるのである。
合気とは、言霊(愛の気)の妙用であります。言霊の妙用は一霊四魂三元八力の分霊分身であります」
ここには『霊界物語』よりも詳しく宇宙の根元について述べられており、他の箇所の開祖の言葉と合わせると「宇宙の根元=神の愛」ということが分かります。「合気道は世界・人類平和のかけ橋じゃ。武とは戈を止ましむるものだということがみんなに理解されれば本望じゃ。日本の武道の本質が合気即愛気だという哲理が、世界のひとびとに理解されたとは嬉しいのう」(『合気道開祖 植芝盛平伝』p.288)ということですから、「合気即愛気」である合気道が目の前に描けなければならない訳ですが、家族愛や兄弟愛が分かれば、これはそれ程難しいことではないはずです。
技の上では、「相手の言いなりになる」ではなく「相手を思いやり、理解する」ということになると思います。それを理解した上でこの道文を何回も読むと、天地開闢以前の世界(神の心)が見えてきます。

この愛(万有愛護の心)は、上泉伊勢守信綱が弟子の柳生石舟斎宗厳に諭した「そこもとは、陽を知って、陰を知らない。人を切ることのみを考え、自分の心に切りこむことを忘れている」という言葉では陰(心、自分の心に切りこむこと)を指し、目に見える技(陽)の鍛錬だけでは身につかないことが教えられています。
朝早く起き、自分の心に切り込む(世界を一つに見る、他人を思いやる)時間を持つと、少しは技も変わってくると思います。

「宇宙の造り主たる『ス』の御親の愛善の情動の動きによって現われたる、明るい営みの世界に同化する、すなわち自分というものは魂、それは造り主の分け御霊であるから満天に自己の智恵正覚を豊満せしめ、智恵光の力をもって大宇宙を一のみとする」(『合気神髄』pp.126-127)などと言われている「情動」は、心理学の専門用語では「激しい心身の変化を伴うような感情」ということのようですから、開祖は明らかに気分というような弱い感情とは区別して表現されています。仏教の「衆生済度の大発心」、キリスト教の「イエス・キリストの無限の愛」と同じで、とても重みのある言葉です。
「わしは武道の神髄として万有愛護を教えておる」(『伝承のともしび』p.138)ということですから、開祖が日進月歩で変わられたのは、ほとんどが陽(技)の部分ではなく陰(心、愛善の情動)の部分であったと思います。それ程、この部分は奥深いと思います。
「合気道は無限です。わたしも76になりますが、まだまだ修行中です。合気道は・・・一生の修行です」(『合氣道』p.219)
この心を土台にした教えが道文の中に数多く出てくるのは不思議ではありません。『合気神髄』や『武産合氣』のどの頁でも結構です。パッと開くと、次々とこのことが述べられています。例えば、次のとおりです。
「我々は魂の気(愛善の情動、万有愛護の心)の養成と、また、立て直しをしなければいけません。合気は宇宙組織を我が体内に造りあげていくのです。宇宙組織をことごとく自己の身の内に吸収し、結ぶ。そして世界中の心と結んでいくのであります。仲よく和と統一に結んでいくのであります」(『合気神髄』p. 28)
「日本の真の武道とは、万有愛護、和合の精神でなければならない。和合とは、各々の天命を完成させてあげること、そして完成することである」(『武産合氣』p.91)

私の兄弟弟子の受身を取ったことのある人が、「○○先生の技は固まるが、(私の兄弟弟子である)先生の技は溶かされる感じだ」と感想を述べています。
心は外(技)に現れるので、「そこもとは、陽を知って、陰を知らない。人を切ることのみを考え、自分の心に切りこむことを忘れている」という戒めを肝に銘じ、精進したいと思います。

posted by 八千代合気会 at 15:20| 日記