2012年07月24日

真の合気の道(7)

『武産合氣』と『合気神髄』の目次を見てみましょう。
『武産合氣』ですが、昭和51年(1976)に『植芝盛平先生口述 武産合気』として出版されたものには、開祖のお話が時系列順に並べられていたと思いますが、昭和61年(1986)の『合気道開祖 植芝盛平先生口述 武産合氣』ではこれを編集し直して内容別にまとめられています。そして、「合気道(武産合気)とは」という重要な部分が冒頭に述べられて、その説明が後に続くという構成に変わっています。一方、『合気神髄』は重要な部分(神髄)が最後に「神人合一の修行」としてまとめられています。
しかし、元々開祖のお話や『合気道新聞』などに載せられた道話や道文はその都度話されたり書かれたりしたことなので、これらの本のように編集を加えても、順序立てて論理を展開するような構成にはなり得ず、これも読む人にとって理解を妨げる要因になっていると思います。そのために、読み手の方で理解するための工夫が必要になります。

道文の理解を易しくするために、少なくとも二つの方法があると思います。一つは、用語索引を作って、それを元に例えば「三元」について知りたいのであれば、「三元」「△○□」「生産霊・足産霊・玉留産霊」などと書かれた箇所をすべて拾い上げることです。もう一つは、類義語を追って、例えば「天の浮橋」→「同根一体」→「スミキリ」のように辿る方法です。このようにして拾い上げた道文を眺めながら、日頃の合気道の稽古と結びつけるようにすると段々と意味や概念が頭の中に飛び込んで来ると思います。

最初の方法によって合気道の武産である「三元(△○□、生産霊・足産霊・玉留産霊)」について述べられている頁を拾い上げてみると、次に示すようになります。
『武産合氣』(1986年版) p.32, 36, 37, 42, 58, 59, 60, 78,88, 89, 90, 121, 149, 150, 160, 161, 167, 179
『合気神髄』 p.21, 22, 52, 53, 112, 113, 131
これらの頁に書かれていることを読んで、開祖の頭の中でまとまっていたであろうように、三元の法則を「宇内三元の法則(宇宙全体の姿)」として表2に示します(< > 内は推測)。
三元_表2.jpg

なお、『植芝盛平 生誕百年 合気道開祖』p.50や『合気道開祖 植芝盛平伝』p.270には「宇大三元の法則」と書かれていますが、宇内(うだい)を宇大と表記するのは間違いだと思います。宇内は天下、世界という意味で、宇宙の類義語なので、わざわざ「大きな宇宙」というようなことを強調するために「宇大」という造語にする必要はないと思うからです。ここで、宇宙の「宇」は「上下・前後・左右」という空間的な広がりを表し、「宙」は「過去・現在・未来」という時間的な広がりを表す言葉で(『淮南子 斉俗訓』による)、開祖が「宇宙の真理」と表現される時には、空間的に無量無辺の宇宙だけでなく、古往今来、不変の真理という意味も含めて遣われていると思います。

大本教の出口王仁三郎聖師の教え(三元=剛、柔、流)から少し離れて(又は発展して)来たことが、開祖をして「私の武産の合気は、宗教(大本教の教え、王仁三郎聖師の教え)から出て来たのかというとそうではない。(宇宙の真理に基づいた)真の武産から宗教を照らすのです。未完の宗教を完成へと導く案内であります」(『武産合氣』p.192)と言わしめているのではないかと思います。この道文は、「宇内三元の法則」が真の武産を表す「宇宙の万世一系の理」で、そこから宗教(その根幹は大本教の教義)を見たときの説明であると思います。

そうすると、次にまとめた事柄がとても大切であると開祖は考えておられたと思います。
三元_アイキ.jpg

この@については、合気道の技の順序を形象化したものであることに誰でも気付くと思いますが、Aの一体化やスミキルということが武産合気の極意として示されていることにも気付かなければなりません。この部分は、形而上の表現ではなく技で表せるものなので、「・・・のが合気道じゃ」と断定されていると思います。

このまとめの左下の写真は椿大神社のお守りです。△○□が重なったところが、Aの形象と全く同じです。青(緑)赤黄に色分けされているのは、猿田彦大神が道案内の神であることから交通安全のお守りになっていて、信号機の色が使われているようです。ただし、表1の「三元の法則(三光の原理)」にあるようにそれぞれの色が決まっているので、色霊(いろたま)としての意味があるかもしれません。

右下の仙腰a尚の絵は、千代田区丸の内の出光美術館に展示されているものです。江戸時代(あるいはそれ以前)から△○□が宇宙の基本図形だとか、社会の構成の三要素を表すものだとされていたようです。出光佐三氏がこれに「宇宙」という題をを付け、鈴木大拙氏が“The Universe”として海外に紹介しています。
開祖も、「生産霊、足産霊、玉留産霊の三元がととのうと、宇宙全体の姿が出来上がるのである」(『合気神髄』p.113)とおっしゃっていますので、同じ理解だと思います。

表で、四元ではないかと思われる四魂(奇魂・荒魂・和魂・幸魂)が三つに分けられていることが分かります。四魂と三元は大本教で別になっているので(一霊四魂三元八力)、開祖が、入身、転換、固め(投げ)という一連の合気道の動きをこのように感じ取られた上でまとめられたのだと受け取ると良いと思います。
前出の『合気道講習会用テキスト』で、「四角におさめる(修理固成)」となっていることから推測して、開祖は、この他に「万有愛護・生成化育・修理固成」、「正勝・吾勝・勝速日」、「顕・幽・神」、「過去・現在・未来」なども三元に当てはめようとされていたのではないかと思いますが、遺された道文からは窺い知ることが出来ません。

合気神社が「宇内三元の法則」で形象化されているということなので、茨城支部道場の稲垣繁實先生にお聞きしましたが、どこがということではなく、全体的に三元の法則で布置されているといわれているとのことでした。
それでこれは私の思い込みかもしれませんが、本殿の周りが玉石(たまいし)で円形に囲われていることに気付きました。
合気神社_本殿.jpg

そうすると丸の中のポチの位置にある本殿に祀られている主祭神は「主(ス)の神」ではないかと思います。
本殿が昭和18年(1943)、拝殿は昭和37年(1962)の完成で、昭和22年(1947)当時は本殿だけでしたが、その頃はまだ本殿の周りには丸い玉石の囲いはありませんでした(『植芝盛平生誕百年 合気道開祖』p.50の写真)。これは、恐らく拝殿の完成と同時期に布置されたのではないでしょうか。合気神社は合気道の守護神が祀られていることだけではなく、合気道の神髄を形象化して示されているということも覚えておくべきだと思います。
このようなことからも、「真の合気の道」を「宇内三元の法則」としてまとめられたのは戦後のことであったと思います。

『合気神髄』に収録されている合気会機関誌『合気会報』が発行されたのが昭和25年(1950)4月で、この年から開祖が各地へ指導、演武、講演などに回られるようになりました。これらのことを考え合わせると、「真の合気の道」が「宇内三元の法則」のような形として確立されたのは昭和24年(1949)後半から昭和25年(1950)3月までのことではなかったかと思います。『合気会報』発行や各地への巡回指導は、「よし、この合気をもって地上天国を作ろう、と思い立ったのです」とおっしゃられていることの具体的な現れだと思います。

『武産合氣』の編著者 高橋英雄先生は、p.42に「△○□が(△○□が重なった図)となって、これがまた丸く円になることが、合気道の実行であると、私は植芝先生からおききしました。そしてこれは、偶々、五井先生から見せて頂いた言霊の本に、宇宙の呼吸図として掲載されているのを見つけました」と註を入れられています。△○□が重なった状態になる(一体化する)ことと、これが回転して(又は螺旋に巡って)スミキルのが合気道の極意であるということです。
「生産霊・足産霊・玉留産霊」という神名から「産す」「結び(一体化)」ということが極意の一部であり、これが体的な結びではないことを知る必要があるのではないかと思います。
「合気道は気の御業(みわざ)であります。・・・万有ことごとくを産みなし、むすびなしてゆく道であります」(『合気道開祖 植芝盛平伝』p.298)

「スミキリ」という極意については、「独楽はな、高速で円転するほど中心軸が安定し、静止しているかの様に見えるものじゃ。心身五体五感の作動も又同じ。この境地を『スミキリ(澄み切り) 』と言う」(『合気道探究』第5号p. 2)との説明があります。しかし、独楽(自分)が円転して相手をはじき飛ばすとイメージすると、気の御業にならず、相手との対立が残ってしまいます。「宇宙の呼吸図」ということですので、これは「このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである。・・・こうして合気妙応の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる」(『合気神髄』p.87)と同じことかと思っています。相手は円転する気の中に摩擦連行作用によって引き込まれるというイメージです。

難しい技の理合まで分からなくても、まず、「宇内三元の法則」とか「スミキル」ということが形象化されているということを知ることだけでも、今後の稽古の取り組みが違ってくると思います。極意と云っても「初歩の導き」ですから、最初の一歩をそこから踏み出すのが良いのではないかと思います。
posted by 八千代合気会 at 07:55| 日記

2012年07月13日

小笠原流

小笠原流30世家元 小笠原清信氏が著者で、昭和42年(1967)8月に學生社から出版されました。
小笠原流は、現在、31世 清忠氏が継がれています。古い本ですので、現宗家が著された本の紹介が良いのかもしれませんが、私が合気道を習い始めて、礼の本質が知りたいと思い読んだ本です。姿勢と礼法の基本の坐る、立つ、歩く、廻る、物を持つ、おじぎについて詳しく示されています。

礼法といえば小笠原流という程有名なものですが、礼法にはこの他に吉良上野介で知られる吉良流や伊勢流、今川流、細川流などがあるそうです。合気道で習う膝行も礼法の一つの動作です。

はしがきに、「礼法ということは、あたりまえのことがあたりまえにできること、それがいわば極意である」「・・・むずかしい教えはなにもない。それなのに成人にたいして作法を教えなければならないということは問題である。行動(言語動作)の教育は幼少の時に体得されることこそ大切なことで、その後は知的教養にともない応用されていくものである」「世間にエチケット集が多く出版されているが、いろいろな問題点を含んでいる。ことに、何故こうするのか、何故そうしなければならないか、の裏づけの理論の解明が不備である。小笠原家に伝承される事々は、この裏づけの理論が中心となっている。読者は真の小笠原礼法がいかに形式主義を排し、理論に裏づけされ、無用の動きをいましめるかを知り、長年つちかってきた日本人の動作の美を再発見するであろう」と書かれています。

指導者として礼を教えるときに、例え子供に対してでも、何故そうするのかということも教えなければ「この礼儀知らずめ」と相手を責めているように受け取られ、指導の効果が薄いように思います。
「おじぎ、それ自体は、動物と人間とを区別する要素といわれているくらい人間らしい、人間にとって大切なことであると思う。しかし、小笠原では意味のない動作は許さないのである。おじぎの本来の精神は、神仏あるいは相手の人に恭敬・敬愛の心もちをあらわすわけで、自分のまごころ、誠の心をひれきするのである」と教えられています。

座礼には、合掌礼、合手礼(ごうしゅれい)、双手礼、拓手礼、折手礼(せっしゅれい)、爪甲礼(そこうれい)、指建礼、首礼、目礼の九品礼があり、合気道の座礼(おじぎ)はこれらの内の「合手礼」に近いと思います。
「合手礼 目上に対する敬礼で、座った姿勢のまま指を揃えて、両手を膝の側面におろし、ついで掌を畳につける。この時女子は指先を(補足 膝の側面で)後に向け、男子は前に向ける。つぎに上体を下げながら、女子は両手を廻すように寄せ、男子はそのまま寄せておよそ膝頭から9センチほどの所に手許がくるようにして、両手の人差指を附け、胸部が膝に附くまで体を下げる。この時手の指がひろがらないように小指と拇指でしめる。また体を下げた時は、両手の人差指の間に鼻が入る位置である。首だけを下げず、袴もとの見えないようにする。脊を伸して、腰を高くせず、ひじを張らないように注意する。起きる時には、体を起こすにつれて両手を開きながら廻して、元の位置にかえる。(女子)
これも礼三息によって、引く息で体を下げ、吐く息だけ止り、また引く息で上げる」
座礼といえば三ツ指を思い浮かべますが、「三ツ指のように、膝の前に指をつけと教えることは、その指に意識を集中させることで、その間、心は相手から離れるのである。常にすべての動作が相手に通ずるように働いてこそおじぎになる。体をかがめるのは、心が恭敬の気持でみたされると自然と体がそのように動いていくのである」と戒められています。
ちなみに目礼は天皇陛下のように最高の位の人が行うもので、首はうごかず眼を相手の人に向かって注ぐものです。それだけで、愛情が注がれなければなりません。

「本来、小笠原は弓馬礼法であり、坐ることも起つことも武術と結びついていたから、動作が緩慢であってはこまる。無駄な動きをはぶき、敏捷ななかにも粗野にならない方法を考えているのである」ということで、起居動作に隙のないことも求められていると思います。
西洋の握手については武器を隠し持っていないことを示すものであり、ラテン系のハグは後腰にピストルを隠していないかを探るものであるということでもあるので、洋の東西を問わず礼法と護身は結びついているようです。

小笠原の家訓に「聞かざれば教うるな」ということがあるそうです。礼法について分からなければ、知っている人に尋ねるということも大切です。
付録に「弓術教場訓」がありましたので引用します。弓術教場は弓道場のことです。
虚名ニ迷イ管家ニ媚ビ
末技ニ驚キ異端ヲ習フ
小成ヲ誇リテ求メザルニ教フ
他道ヲ恃(タノ)ンデ先学ヲ蔑(イヤ)シム
権富ヲ頼ンデ理宜ヲ忘ル
管家とは使用人のことです。知っている人に聞かないで、知らない人に聞こうとすることを「管家ニ媚ビ」と表現しています。弓だけでなく他の武道や人生全般に通ずる訓戒だと思います。
posted by 八千代合気会 at 11:22| お勧めの本