2012年09月13日

合気の創始者 武田惣角

池月映が著者で、平成24年(2012)7月に本の森社から出版されました。武田惣角師が大東流の中興の祖ではなく創始者であったという事実を解明した本です。

前著『合気の発見』の発行から3年、更に調査を重ね、写真も掲載された完成度の高いものになっています。写真では「易師 中川万之丞」「英名録」「柳津円蔵寺に奉納された東馬門徒の絵馬(小野派一刀流奉納額)」が示され、奉納額には「竹田宗角」の名が見えます。中川万之丞についても、武田時宗氏が遺した『遺稿集』(『月刊秘伝』2010年2月号)で明らかになった真言密教や修験道を伝えた人物として詳しく述べられ、九字護身法(くじごしんぼう)、五行健康法、陰陽合気法(いんようごうきほう)、仁王禅、気合術、神通力法(じんつうりきほう)などの説明が加えられています。

史実(大東流の伝承)に対して事実(会津での調査に基づくもの)が明らかにされており、大東流の研究書として一級の書物になると思います。

第一部の「武田惣角の実像」では、史実の誤りが明治5年(1862)に編製された壬申戸籍簿(明治になって初めて作られた戸籍謄本)に基づいて正され、母の名前と没年、最初の妻の名前と結婚年、長女テル、長男宗清の生年などが明らかになっています。目が不自由な妹マンとの兄弟愛や妻コンとの夫婦の絆が明らかにされ、武田惣角師の人間的な側面を知ることができ、親しみを感じました。
大東流第35代というのは、今でいえば経歴詐称になりますが、武田惣角師の技量と創始した柔術の質の高さを見て、それを教えるために保科近悳が系譜を作ったということでしょうか。その背景もよく分かり、心情的に受け入れることができます。普通に武術の流派の系譜であれば、合気術之始祖(としている)新羅三郎源義光から数えるところを、清和天皇まで更に六代遡っていることから、保科近悳は、それ程武術(あるいは武術伝書)の造詣が深くなかったのではないかと思います。

英名録には明治20年(1887)から記名がされているようですが、大東流として教えたのは明治32年(1899)からのようです。この年に発行した『大東流柔術秘伝目録』が発見されている最古のものです。史実でも、この年に「英名録に“大東流柔術”の字が見られる」となっています。その前年には保科近悳が道歌「知るや人 川の流れを打てばとて 水に跡ある物ならなくに」を英名録に記していますので、この時に大東流柔術の系譜が作られたことの裏付けになります。

『武田惣角探訪』(ブログ)には、武田惣角師の前半生が消された理由として次の3つを挙げています。
@ 保科近悳の支援があっても会津では武術家になれない、農民であること、家族を置いて自宅を失踪したことを子孫として公表したくない。
A 大東流の史実は、戦前の士族社会、会津以外で教えたから通用した。戦後、地元では評価されないので公表したくないことが、会津剣道誌から読み取れる。会津では、奇人変人のままで、評価されなくても良いという選択をした。
B 密教修験道の秘術は、関係者だけに口伝で伝えられた歴史がある。だから、修験関係者でもない、本来なら教えられる立場でないから、惣角は易師の約束を守り、門人の誰にも話さなかった。 

第二部の「合気の糸口」では、合気の語源が禅密功の「陰陽合気法」から来たのではないかと推測しています。武田惣角師が語った合気の秘法が『大東流会報』に載りましたが、「陰陽合気法」は呼吸法によって臍下丹田に気を充実させ、気力集中をはかって精神統一をするというもので、五指を握り、静かに入息するを「陰」、五指を強く開き、出息するを「陽」と呼ぶ、とあり、この呼吸法を続けることによって、頭脳明晰となり、眼力は鋭く、「心」「気」「力」一致し、大勇猛心を養い、特に両手十指それぞれの活用により、神通力を高める、と記されています。
このように指を握ったり開いたりする呼吸法は、藤平光一先生が『生活の中の合気道』(昭和39年 六芸書房)で示されています。http://kokyuhou.exblog.jp/3676756/ にこの本の紹介がありますので、同じであるかどうかは分かりませんが、参考にして想像してみて下さい。
真言密教や修験道の行法も述べられていますが、私は、若い頃に行者に会ったり、法力を持った坊さんの話を親から聞かされたりしていたので、この修行が「合気」という不思議な力(術)の源になったということに肯けるものがあります。

「はじめに」に書かれているとおり、合気の技術的なメカニズムは未だ確定されていない、というところです。この本で明らかにされたところを頼りに心術(心法)として求めるのも良いことだと思います。
「おわりに」に、「易師万之丞は、学識・人徳や密教への深い信仰心があり、俗人的な欲がなく聖人にふさわしい人物であった。立身出世を目指すことには関心がなく、真剣勝負で死ぬまで歩き続けた惣角の人生観に色濃く反映されている。合気の理論を教えたのは、武術家ではなく気を操る易者だった。世の中に理解されるだろうかと不安もあったが、合気と易学に詳しい武術研究家の賛同を得ることができた」「武術、宗教、易、郷土史の関係者と交流をはかりながら、推理小説のように難解な謎を解明した。時宗遺稿集と同じ武道専門誌『秘伝』に取り上げられ、読者からの問い合わせがあっても反論はほとんどなく、武術専門家の一定の評価が得られたことになる」とありますが、そのとおりだと思います。
「堂々と、前人未踏の偉大な武術家、故郷会津の偉人として評価されるべきである」と言われていることも同様で、私も正しい評価がされると良いと思います。

武田惣角師について聞くのが初めてに近い人は、「大東流の七不思議」「続・大東流の七不思議」を検索してみて下さい。七不思議の疑問がこの本によって氷解すると思います。
この本は只の読み物ではなく、大東流の正史を書き換えるための貴重な資料になるものだと思います。また、合気の探究に心法が欠かせないことにも気付かせてくれる本ですので、八千代合気会の会員も『武産合氣』や『合気神髄』と同様、何回も読まれると良いと思います。
posted by 八千代合気会 at 16:58| お勧めの本