2012年12月31日

裸からの人生

千葉県合気道連盟前会長(初代)の清野裕三先生が著者で、平成20年(2008)に文芸社から出版されました。副題は『第三の人生に挑戦』です。

清野先生は、大正15年(1926)に朝鮮で生まれ、大戦を挟んでいるので、戦後生まれの私たちとは比べものにならない起伏に富んだ人生を送られてきたことがこの本から良く分かります。

合気道には、昭和29年(1954)5月、新橋の産経道場に入門していますが、昭和39年(1964)のことでしょうか、岩間(現茨城県笠間市)で、開祖が勲四等(瑞宝章となっているが旭日小綬章)叙勲の栄に浴された時の報告に立ち会っています。この時に開祖が清野先生に話された言葉が記されています。
「なあ、わしを特別扱いしちゃ駄目だよ。わしが話をすると、皆逃げてしまうんでな」(開祖の話がよく分からなかったのと長かったことによるのでしょう)
「戦争たけなわの時、敵の飛行機が近くまできても、わしのこの土地の上までくると、姿を消しおった。またどこの土地に行っても空襲がある時、わしのそばに逃げてきた者は、皆助かったもんじゃ、だから空襲の激しい時、わしはこっちゃこい、こっちゃこいと人を呼んで助けたんよ」
「うん霊感か、いつということはない。いつでも神が乗り移ってきて、神がしゃべらすし、神が行動させる、その時、その時でいつでも神が身体に入ってくるんよ」
「じいが、皆に言うんじゃないんよ、神様がじいを通して、しゃべらすんよ。だから私は、神の使命を果たさにゃならんのよ」
「わしは宗教家になれば、今でも信者が3万や4万はできる自信がある。しかし、わしは武道家や、宗教家やない、だから合気道一筋に生き抜くのや」

千葉合気道館小倉台道場の道場開きが昭和44年(1969)3月30日。その3日前の3月27日に開祖の病床を見舞った時、「なあ、合気道は自分一人だけのものやない、天下国家のため、そして、世界平和のため頑張ってや」と言われたことについても書かれています。この話は合気道新聞にも載っていますし、何回か清野先生から聞いていることです。

第三の人生という言葉は、元京都大学学長 平澤興先生の『生きよう今日も喜んで』(致知出版社)に載っている次の語録から取られたものです。
「60代に入ると、一応還暦をすませて、まあ人生のフルコースをすませて、いよいよ20年の精進がいる。それから、娑婆を離れた楽しい人生の修行が始まる。
70歳で新しい人生を開き、80歳にして人生の頂点に達する。
80歳で、また第三の人生がはじまる。
この人生がどこまで行くのか、私には分からない。
それはなにか神々しいものが、輝いている感じである。
本当に人生を楽しむのは、80歳からである。
この年になって、新しい人生に燃える人と、がっくりする人がでてくる。
75、6歳から、85、6歳までが一番伸びるときだ。
90歳まで生きないと、本当の人生はわからない」

posted by 八千代合気会 at 23:51| お勧めの本