2014年05月28日

日本人の坐り方

矢田部英正氏が著者で、平成23年(2011)2月に集英社から集英社新書として出版されました。

カバーの裏に、「畳や床の上に直接腰を下ろして『坐る』。私たちが普段、何気なく行っている動作は、日本人が長い年月をかけて培ってきた身体文化だ。しかもそれは、『正坐』のみを正しい坐とするような堅苦しいものではなく、崩しの自由を許容し、豊かなバリエーションを備えた世界なのである。古今の絵巻、絵画、仏像、画像などから『坐り方』の具体例を描き出して日本人の身体技法の変遷を辿り、その背後には衣服や居住環境の変化、さらには社会や政治の力学までが影を落としていることを解き明かす画期的論考!」と書かれています。

序章に「座」と「坐」の違いが述べられていて、「そもそも『座』という言葉自体が、その場に流れる『雰囲気』や『空気感』を意味する言葉でもあるのだが、学問的には表記の上でひとつの約束事が決められている。まず『坐』という文字を使った場合、人のすわった『形』や『動作』をあらわし、そこにマダレが被(かぶ)さって『座』となると、すわる『場所』を意味するようになる。解釈はそこからさらに広がって、『歌舞伎座』や『俳優座』といった劇場の呼び名にもなり、人々の集う『空間』や『共同体』、さらにはその場に流れている『空気の質感』までも含むようになっていく」という説明があります。
学問的には「座技」ではなく「坐技」が正しい表記で、「正坐」「跪坐(きざ)」のように書くのが良いということが分かりますが、昭和37年(1962)1月発行の『合氣道技法』では「坐技」、平成9年(1997)9月発行の『規範合気道 基本編』では「座法」「座り方」と書かれているように、一般的には「坐」が使われなくなって「座」に移行しているようです。

時代劇を見ていて、源平時代や戦国時代と江戸時代とでは武士の坐り方が違っているのは正しい時代考証によるもののようです。これは徳川幕府が制定した武家儀礼によるところが大きく、「正月の将軍への拝謁のときの坐り方が、室町時代には『安坐』や『胡坐』であったのに対して、江戸時代の二代将軍秀忠の頃には『端坐(正坐)』となるなど、この間、坐り方の作法に変化が生じている」ということです。「将軍に拝謁するもっとも格式の高い儀礼のなかで、忠誠を誓う大名たちの坐法は、各々の存在を大きく見せる安坐や胡坐よりも、慎ましく膝を閉じて『かしこまった』坐り方がより好ましいと考えられたにちがいない」とのことで、時代が下っていくにしたがって、この坐り方が女性たちの間で広まっていったのは、当時の服飾様式の変化(キモノの身幅が狭くなっていった)と密接に結びついているようだとのことです。

明治13年(1883)に東京府内の小学校73校で小笠原流の礼法教育が行われることになり、「両足を揃えて立ち、止まり、左の足より、一足ずつ後の方へ引き、爪先を立てながら、両膝をつき、両足の拇指を、重ねて坐すべし、坐せる時、直に其手を膝上に置き、腋(わき)のあたりに、鶏卵一個ずつ挟みて、落さぬようなる心得に、腕を据えるべし」という正坐が教えられたそうです。

そうすると、根本術理の合気を正坐した状態の合気揚げで練る大東流は、起源がそれ程古くないと考えるのが妥当ではないかと思います。

最後の章は「坐り方ガイド」で、「短時間の『端坐』であれば、膝下の血行を促す健康上の効果も得られる」、「ただし問題は『膝』である。足先のしびれを通り越して膝が痛くなるような状態は、相当長い時間坐り続けた結果として引き起こされるものであるから、たとえ芸事の修練であっても、膝を痛めるほどの長時間の『端坐』は控えるべきで、せいぜい1時間以内に留めた方が良い」との注意があります。

1冊、30分で読めるような本を、ということで書かれたもので、読みやすく、また、説得力のある各種の絵画や画像などから、よく分かる本にまとまっています。
posted by 八千代合気会 at 08:57| お勧めの本

2014年05月27日

開祖の合気(1)

天の浮橋について調べていた時、ハワイの合気道三元会のブログで“Floating Bridge of Heaven”と訳されていることを知りました。日本語でもよく理解できない概念を英語に置き換えて理解しようとされていることを知り、頭が下がる思いと、日本語が分かるはずの日本人が「開祖のお話は難しくて分からなかった」ということで済ましていてはならないという強い思いがしました。
Floating bridgeといえばhttp://www.nauticexpo.com/prod/marine-floor-europe/floating-bridges-24116-396079.htmlの写真のようなものをイメージするでしょうし、『古事記』などの知識があればWikipediaの「国生み」などに掲載されている「天瓊(あめのぬぼこ)を以て滄海(そうかい)を探るの図」(小林永濯・画)に描かれている雲の橋をイメージするでしょうか。

この合気道三元会が、「合気」の意味について合気道と大東流の著名な先生方の意見をまとめていて、そこに開祖の「この道は、天の浮橋に最初に立たなければならないのです。天の浮橋に立たねば合気は出て来ないのです」という言葉が引用されています。http://www.aikidosangenkai.org/blog/survey-says-aiki/
このブログの大東流合気柔術 練心館の前田武氏の言葉までは、『月刊フルコンタクトKARATE』の1996年1月号の特集「秘技・合気の秘密」からの引用だと思います。この開祖の言葉も含めて、その後に掲載されている方々の言葉は他の資料から引用して付け加えられているようです。

改めて『月刊フルコンタクトKARATE』の記事を引用します。
「・櫻井文夫(合気道SA代表師範)
 合気は相手が固体化したときに出やすいんです。人体には多くの関節があり、バラバラに動いているので、なかなか固体化することはありませんが、「腕を強く握ってごらんなさい」などと、あらかじめ教示を与えておくんです。すると、筋肉が緊張して腕が固体化し、合気がかかりやすくなる。
 よく合気道家の先生が自分の力を誇示するために腕を握らせたりするのは、相手を固体化させるためなんです。強く握れば握るほど、相手の思うツボなんですよ。
 かりに強く握らなかったとしても、上手な人なら膝を使った早い動きで、相手に一瞬ビクッとさせておいて、その反射を利用して瞬間的に合わせるんです。ちょうど、釣りをして、魚が餌に食らいついた瞬間に、竿を合わせるような感じで。
 でも、本当に合気が使いこなせるというのなら、演武などの約束事ではなく、自由な戦いの中でも使いこなせるはずなんです。そうは言っても、先ほど述べたように、合気にはいろいろな身体的条件の一致が必要となるわけで、自由な戦いの中でそれを使いこなすには、合気そのものに変革が必要なんです。
 にもかかわらず、現行合気道は自由な発想での戦いを忌み嫌って、やっていることは派手に飛んでみせる演武と、素人相手に奇術師まがいの合気技を見せることでしょう。
 合気にも2種類あると思うんですよ。一つは静的な状況(自由な戦い)で使われる合気。現行合気道は《静の合気》ばかり追求して、《動の合気》については検証しようとすらしない。僕に言わせれば、現行合気道がやっている合気は、ただのマジック…合気マジックにすぎませんよ。

・高岡英夫(運動科学研究所所長)
 合気道では、力線をずらしたり、タイミングや弾みを利用したり、テコの原理を利用したりという、巧みな力学的技術のエッセンスを総称して「合気」と言い、またそうした技術を充分に発揮するための土台となる自己と相手の認識・意識的関係をも「合気」という概念を含めている流派が多いようです。
 合気柔術は、合気道に比較して、そういう考え方を採用する流派は少ないですね。合気柔術では、概して「合気」を巧妙な力学的技術のエッセンスとしてではなく、相手の運動制御機構そのものを自己の支配下に置きコントロールする技術のエッセンスとして考える場合が多いのです。
 力学的段階の合気を「第一の合気」とすると、これは相撲のいなし、腕の返し・押っつけ・投げなどや空手の蹴りに対するすくい投げなどの熟達した実例はいくらでもふくまれていることが分かります。言い換えれば力学的には損な関係の中で“相手に勝る筋力”で制することを許容するかどうか。これが「第一の合気」についての、合気道と他の格闘技の違いということになるのです。合気道とは、こうした筋力性をゼロに、反対に「第一の合気」を100%に近づける徹底した努力と言えるでしょう。
 運動制御機構を支配する合気を「第二の合気」とすると、この初歩的な実例は、柔道の「崩し」などにも見ることができます。「体の崩し」ではある種の体幹起立筋の反射(つんのめり反射)を巧妙に引き起こしてやることで、一瞬運動制御機構に混乱を起こし支配下に置くことを狙います。つんのめり反射を僅かでも引き起こすことができれば、その後の技は格段に掛け易くなるわけです。しかしこうした生理反射のみを利用するのは、「第二の合気」としては初歩の初歩と言わざるを得ません。

・森恕(大東流合気柔術琢磨会 総務長)
 私たちが考えている合気というのは、「無意識的な防御反応、あるいは防御本能に基づく動きをこちらで刺激して身体操作をすること」。これが合気の神髄だと思うんですね。
 柔術の場合は、相手の身体を動かして、倒したり、投げたり、抑えたりということも目的としています。だから、相手の身体操作方法に技法のエッセンスが集まってくる。そのエッセンスを集めて、さらにその上に意識的動きを封じて本能的動きを誘い出して倒す…そのためのコツ、心得、考え方が合気だと思います。
 だから、視点の置き方が、従来の人がやっている剣技を中心にした<仕手>側の心法ではなく、柔術は<受け手>側の心法でないといけないのではないか。それに注目してやるのが合気柔術ではないかと思っているわけです。
 <仕手>についての心法というのは、気の力とか呼吸法とか、言わば「力」に注目したものになってくるか、あるいは武田時宗先生が「先々の先」だとかいう言い方をして、タイミングというところに視点が置かれているんですが、受け手の心法に注目すると、「<受け手>の防御本能や反応に注目する技法」に結実していくんです。
 ですから、心法と身法を分けるとすれば、大東流合気柔術は心法であり、単純な身体の技術ではない。だけど、相手の心や神経、本能に着目した技術ですから、変な言い方ですけど、「相手の心法」ではないか。身法をふまえた心法、それも相手の心…神経、本能を含めた、相手の心法に注目した技術です。

・井上祐助(大東流合気柔術幸道会 総本部長)
 言葉や文章ではなく、実技を通じて伝えてゆくべきものであるだけに、定義したり、本に書いたりしたこともありません。人とそれぞれの個性というものがあるように、修業の過程でその者の個性ないし特徴を見ながら、「それを伸ばしてやるにはどうすればよいのか」という部分に重点を置いて教えています。その結果、私と違った合気を身につけたとしても構わないと思います。それがその人の持ち味なのですから。

・近藤勝之(大東流合気柔術本部 本部長)
 大東流の技は5つの基本(礼儀、目付、呼吸、間合、残心)を習得し、合気による崩しが加わることで完成します。柔術の崩しと合気による崩しは異なるので、必ずしも合気=崩しではありませんが、最初の段階では「崩し」と理解してよいでしょう。相手の虚をついて崩すこともありますが、合気による崩しは相手が触れた瞬間に崩していなければなりません。そのためにも、基本の修得が必要不可欠となるのです。

・前田武(大東流合気柔術 練心館 師範)
 「集中力」ではなく、触れることで相手を無抵抗にさせることだと思います。接点から気を出して、丹田から足へと伝えることによって相手を動けない状態にしてしまう。あとは投げようが倒そうが、こちらの意のままです。師匠の松田敏美には「力を入れるな」と教わりました。師の手を握ったときの感触を覚えておいて、あとは自分でいろいろ試行錯誤することで身につくはずです。私の場合には30年ぐらい掛かりましたね。

・吉丸慶雪(合気練体会 主宰)
 合気というものは伸筋を使い相手を崩す「技術」で、その原理は全て合理的に説明が出来ます。そして多くの人が気と呼んでいるものは、この伸筋の力を指しているもので、神秘的な意味での「気の力」は存在しません。ただ、この伸筋の働きは、使っている人が「力を使っている」という意識が出来ないため、多くの人はこれを指して「気の力」と呼んでいるわけです。ですから合気と気は分けて考える必要があるのです。

・望月稔(総合武道養正館 館長)
 合気の気は「やる気」。すなわち闘志です。闘志と闘志のぶつかり合い。それが合気道だと思います。気には強いものもあれば弱いものもある。しかし、それらは修練によって強くなるものです。私のところにも女か男か分からないような若者が入門してきますが、稽古が進むにつれて、道場での態度も引き締まってくる。つまり、やる気が出てくる。やる気のある者は、より積極的に稽古の取り組むようになる。それが大切なのです。

・藤田昌武(財団法人合気会 本部道場師範)
 合気会は合気道を国内外に推進・普及している中心団体として活動していますが、合気という言葉自体を特別に取り上げ定義・説明はしていません。合気道は競技体系を持っていませんので、約束稽古・型稽古を通じて体の鍛錬をすると同時に、相手と合い和する心の鍛錬を目的にしています。そして、こうした稽古を通じて、誰もが持っている合気も養われ、発揮されてゆくと考えています。

・斎藤守弘(合気道 茨城道場 師範)
 合気道はそもそも植芝盛平先生から伝わったもので、先生から伝えられた合気を、現在正しく伝えているのはうちしかない。今の多くの合気道家は、合気を求めるあまり、先生の伝えた稽古を疎かにしている。それでは合気を得ることは出来ない。合気は本来誰もが持っているものだが、それは正しい型の稽古を繰り返すことにより修得しなければならず、それなくして合気を得ることはない。

・中野仁(合気道養神会 本部道場師範)
 合気を得るには、理屈によるものと体によるものがあります。どちらも合気という答を求めているのですが、戦後の新しい流派の多くは、過程を飛ばして理屈により答えを求めているようです。私達はそれと違い、基本動作や指導稽古等の過程、体を使った稽古を通じて合気を習得する方法をとっています。また、合気は必ずしも神秘的なものではなく、敵との間合いや殺気を感じる等のことも含めて合気であると思います。」

それぞれの先生方が「合気」というものをどのように捉えられているかを知ることが出来ると思います。
posted by 八千代合気会 at 02:26| 日記

2014年05月03日

腰痛

住田憲是(かずよし)医師が監修して、平成19年(2007)2月に主婦の友社から出版されました。副題は『よくわかる最新医学』です。

住田医師は、AKA-博田法という比較的新しい手技療法を中心に整形外科領域の痛みに限定して、その診断と治療に専念されている整形外科医です。
「はじめに」に、「日本人の約80%の人は、一生の間に必ず1回は腰痛になるといわれています。…そして、腰痛の治療は、現在、整形外科で行っている手術や薬物療法などがベストで、これらの治療で治らない腰痛は、がまんするしかないと信じている患者さんたちが多いと思われます。…腰痛のほんとうの原因が神経領域以外にある場合に、整形外科医にはそれがわからず、必要のない椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などの手術を行ってしまうことがあります。腰痛の85%は、仙腸関節という骨盤にある関節の機能異常や炎症が原因です。通常、みなさんを悩ませている腰痛は、ほとんどがこの仙腸関節に原因があります。本書は、約85%の腰痛をよくすることができるAKA-博田法についてくわしく説明しています」と書かれています。

この本が発刊された翌年、私もぎっくり腰で身動きが出来なくなりました。整形外科に2箇所、民間療法を含めて合計8箇所で治療を受けましたが、治療を受けた帰りも数十メートル歩くのが大変な状態でした。そんな時にこの本に出会って、9番目の治療法としてこのAKA-博田法を選びました。この本には専門的な説明がありますが、そのことはよく分からなくても治癒率を明記してあったのでそれを信じることにしたのです。そして、初めての治療で、帰りに歩けたのとクリニックに来ているお年寄りにお尋ねしたところ「効きますよ」ということであったので、治療を続けることにして、やっと重度のぎっくり腰から解放されました。

八千代合気会の会員で、何人かぎっくり腰や腰痛で稽古が続けられなくなった人がいますが、その時にこの療法を知っていれば今も一緒に稽古が出来ていたのに、と残念に思います。

仙腸関節の関節包の炎症が、腰痛や肩こりの原因になっているという新しい理論で、他の手技療法のこともあってか、健康保険の適用が認められていませんが、腰痛持ちの人は手術を回避できるかもしれないので、試すつもりで治療を受けられるのも良いかと思います。仙腸関節に軽く触れる程度の治療なので、逆に悪化させるという心配はないと思います。
仙腸関節から遠隔の部位の痛みも取れるとのことで、この本には例がありませんが、私の場合、夜中や自動車の運転中に起こる「こむら返り」も解消しました。

AKA-博田法から見た、腰痛を防ぐ日常生活の注意点として「中腰にならないこと」「同じ姿勢を長くとらないようにする」「疲れをためないこと」「冷やさないこと」の4つのポイントが挙げられていますが、このホームページの「リンク」の「その他」をクリックして「腰痛がある方のために(参考)」を開くと、前屈・後屈体操(youtsuu)を転載していますので、併せて取り入れてみて下さい。オフィスでも30分か1時間に1回の割合で、一度に3回だけ前屈・後屈体操をすると良いそうです。
日本AKA医学会(http://www.aka-japan.gr.jp/)のページには、指導認定医一覧や指導認定医mapが載っていますので、ご確認下さい。全国で100名の認定医がいますが、私が治療を受けた頃は54名でした。

仙腸関節の可動域を拡げることは武道の身体操作とも関連があるという理論があって、関節運動学研究会で「第11回 ビデオ上映−身体操作の極意(甲野善紀・高岡英夫) AKAにおける特殊な身体操作とはどのようなものかを解説。甲野善紀の「井桁の理論」と高岡英夫の「身体意識」を、AKA技術にどのようにして取り入れていく必要があるのかを考察」(http://www.arthro-reflex.com/info/enkaku.html)という研究もされているようです。
posted by 八千代合気会 at 13:05| お勧めの本