2015年08月19日

古事記 現代語譯 古事記(3)

「合気道とは大自然の絶対愛を基として…皆空の心と体を造り出す精妙なる道である」(『合気神髄』p.53)とおっしゃられている、合気道の基となる「絶対愛」の本源について述べられた部分だからです。

そのことが分かるためには、平田篤胤の時に国学の中に(禁書であった漢訳聖書を入手したことにより)キリスト教の聖書の知識が入って来て、言霊学が聖書の「太初(はじめ)に言(ことば、 ヘボン訳では「言霊」)あり、言は神と偕(とも)にあり。言は神なりき。この言は太初に神とともに在(あ)り、萬(よろず)の物(もの)これに由(よ)りて成(な)り、成りたる物に一(ひと)つとして之(これ)によらで成りたるはなし」(ヨハネ伝1章1-3節)から、言霊によって天地(万物)が造られたという考えに基づいていることを知っておくと良いでしょう。

言霊75声説は、中村孝道から高弟の望月幸智を通して、幸智の孫の大石凝真素美(明治6(1873)年までは望月大輔という名)に伝えられました。
中村孝道は、『言霊或問(ことだまわくもん)』で言霊について説明し、ス声を中心とした75声の1音1音に霊が宿っているとしています。そして、その声が組み合わされて万物の名となると言っています。
「又問、其言霊といへるものはいかなるものぞ。答て曰、是人の声の霊なり。夫(それ)人は七十五声出て、其声毎に義理備る。其義を号(なづけ)て言霊といふ。かく一声毎に霊有(ある)をもて、是を二声三声或は四声五声と組つらぬる時は、千万の名となり詞となりて、世の物事いひ尽さずといふ事なく、又さとし尽さずといふ事なし」(『言霊或問』)

大石凝真素美は、ス声(素の氣)が初発(はじめ)から存在していたものであり、それが澄みきり広がりきって形をなして行くと述べています。
「夫れ此の世の極元(こもと、開祖のいうポチのこと)を ス(素という偏〈へん〉に氣という 旁〈つくり〉の合成漢字を当てている)といふ物が極乎恒々(すみきり)至大浩々而(ひろぎきりて)、自然(をのづ)と十八稜團(とをまりやかどつぶ、大石凝真素美著『眞訓古事記』では「こんぺいとう」と読む)の形を備(そなへ)をり。湛々(ただよひて)玄々(ふかまり)黙々(ありつつ)、恒々(つららぎ)たりつ。其(その)スと云ふ質(もの)を蒸氣(ゆげ)よりも煙よりも香(きり)よりも猶々(なほ)微細(こまか)なる神霊元子(こえのこ、声の子、言霊)が至大浩々(ひろぎきり)の域(ところ)にカミ充實(つまり)に實相(つまり)きりて、幾々(ゐくゐく)却大約(おほつな)の昔より生き通しに生き居(お)る者也ける」(『大日本言靈』)

また、この「スという物(ス声)」が凝結して天之御中主の神となったと説明しています。
「抑(そもそも)此世の大元素は 其(その)至始元の時に⦿(丸にポチの表象は水茎文字の「す」)と謂ふ物あり。神々 霊々 浩々 湛々として 至大 至誠矣(なり)。極乎として純なる物矣。然り而して 其中心(ただなか)が定まりて 動かざる也。其中心の動かざる所に霊氣が凝結して地球と成りたり。其名(な)を天之御中主(あめのみなかぬし)の神と謂ふ矣。故(か)れ天之御中主の神は 此地球を以て神體(からたま)とし 至大天球を以て 神霊魂(みたま)とし玉ふ矣(なり)。
○ 然り而して 中心なる地球より 右に螺旋して 天底に昇騰する 氣機あり。其名を高皇産霊の神と謂ふ矣。亦天底より 左に螺旋して 地球に降り着(つ)く氣機あり。其名を神産霊の神と謂ふ矣。然り而して経緯 輪廓 條理 脉絡 明細に組織し、極然として濔縫(弥縫、びほう) 紋理する矣」(『弥勒出現成就経』)

この言霊学は大石凝真素美から出口王仁三郎聖師に伝えられますが、王仁三郎聖師は、一時、キリスト教に傾倒したこともあってか、はたまた万教同根の考えからか、キリスト教の教義・概念を多く取り込みました。それでス声を「主(ス)の神」とも呼ぶようになります。
キリスト教では、キリシタンの時代に「デウス(Deus)」を「天主」と言っていました。現在も神様(Lord)を「主」と呼んでいます。ここから「主の神」が導き出されたようです。大本教や大本教に連なる多くの神道系宗派では「主の神」を「スの神」と呼んでいます。「ス」は最初に発生した言霊ですが、「いろは歌」の最後の「す」でもあり、「我(われ、主なる全能の神)はアルパ(最初)なり、オメガ(最後)なり」(ヨハネの黙示録1章8節)とも合致すると考えられて「主(ス)の神」となっているようです。

道歌に「⦿(ス)の御親 七十五(ななそいつつ)を生み出して 合気の道を教えたまえり」(『合気神髄』p.45)とある「スの御親」が、その「主(ス)の神」のことです。合気の道は大自然の絶対愛(万有愛護の大精神)を基とした道であるということを示す道歌だと思います。
なお、『合気神髄』には「日の御親」と載っていますが、「⦿の御親」の誤りなので訂正して示しました。また、「御親」は『霊界物語』では「御祖(みおや)」と書かれています。最初の神という意味が込められているからです。

古事記の序文は、聖書の「元始(はじめ)に神(かみ)天地(てんち)を創造(つくり)たまへり。 地(ち)は定形(かたち)なく曠空(むなしく)くしてK暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり 神の靈(れい)水(みず)の面を覆(おほい)たりき (初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた)」(創世記1章1-2節)とよく似た部分だと思います。
国学で古事記を解釈する時、聖書のこの部分も影響を与えたのではないかと思います。聖書の「天地創造」と古事記の「天地開闢(かいびゃく)」や霊界物語の「天地剖判(ぼうはん)」との違いは、永遠に存在している神が天地(宇宙)を創造されたか、混沌とした中で最初の神が現れて天地に分かれたかということですが、あまり些細なことに拘らないで下さい。
出口王仁三郎聖師の「主(ス)の神」は天地創造の神と認識され、至仁、至愛を備えられた御方とされています。
「さは然(さ)りながら天地(あめつち)を 造り玉ひし主(す)の神は 至仁(しじん)至愛(しあい)に坐(ま)しませば」(霊界物語20-99-2)

厳密に考えすぎなければ、「主の神」という呼び名はキリスト教・ユダヤ教の「主(Lord・ヤハウェ)」やイスラム教の「創造主(アッラー)」の呼び名と考えることが出来ると思います。そう考えると、合気道が世界的な広がりを見せる今日、抵抗なく神道を信じていない国の人々にも理解されるのではないかと思います。
言霊のス声が宗教的には主(ス)の神であって、万有愛護の存在であると理解して読み進めると、開祖の話の奥深いと言われるところが分かってくると思います。
posted by 八千代合気会 at 14:17| お勧めの本

2015年08月11日

開祖の合気(10)

開祖が体得された真の武は、しばしば武産合気という言葉で表現されています。
「同時に、『真の武の道は武農一如、武産(たけむす)合気の生命力生産の実践こそ原点である』とのかねてよりの信念にしたがって、2年ほど前から決意して用意しつつあった茨城県岩間の里に、昭和17年(1942)、…さっさと… “神隠れ”してしまったのである」(『合気道開祖 植芝盛平伝』pp.35-36)
この「武産」について、『武産合氣』のp.14に「神道の真理の言葉」という註が付されいます。神道の真理とは、「ムスビによる神人合一の道が神道(神ながらの道)である」ということです。そうすると、武産とは、「ムスビ(産霊、結び)による神人合一の武道(神ながらの武道)」を表す言葉であるということが分かって来ます。
産霊は産(ムス)霊(ヒ)で、ムスビと訓(よ)み、生み出す力や生命力に満ち溢れたさま等を表す言葉で、結びの語源だそうです。

武産合気の神示にも「結び」という言葉が出ています。
「武産の武に精進するは魄(体)の為にあらず、この魂(心)の縁の結びなれば、よく肝に銘じて心得よ」(『合氣道で悟る』p.45)
ムスビは古代からあった言葉で、産す(生す)子、産す女(め)、即ち息子、娘という言葉にも含まれています。ムスブには、「結ぶ」以外にも「掬ぶ(むすぶ、掬する)」という言葉があり、気持ちを汲み取るという意味で使っていますが、「人間の体の中へ霊魂を入れ、結合させることである」(折口信夫による)という意味もあります。
「全部自分の腹中へ、身の内へ入れてしまうんですよ」と開祖が話されていることは、折口信夫(おりぐち しのぶ)の説明のようなムスビの状態を言い表されているのではないかと思われます。

さて、「一体」が後に付く四字熟語を探してみました。
「神人一体」「君臣一体」「三位一体」「夫婦一体」「親子一体」「人馬一体」「彼我一体」等々、別々のものが一つに結び合わされている状態を示す言葉が見つかりました。
「魂の縁の結び」や「皆、空に愛の氣を生じて一切を抱擁する。之、武産也」(『合氣道で悟る』p.43)という武産合気の神示の言葉に照らし合わせて考えると、この中では「夫婦」や「親子」を結び合わせているものが武産合気の結びの力になると思います。夫婦や親子が、お互いを思いやり気持ちを汲み取り合っていれば、愛が溢れる、結び付きの強い家族になってくると思いますが、その時に「無念無想」でそうなっている訳ではないことは明白だと思います。

如何でしょうか、「無念無想」以外に一体化する方法があるということについて、納得のいく説明になったでしょうか。
愛だけで、あるいは魂の結びだけで相手を投げられるとは思わないと考える人でも、自分を認めて受け入れてくれる親や職場の上司の前で素直になれる自分に気が付いていることと思います。愛の情動(万有愛護の大精神)には、相手を和と統一に結ぶ力があるようです。
「先生に近寄ったとたん、自分の心と体が何か透明な感じになる。そして先生に触れると、それはよりはっきりして、まるで自分と先生の心と体の境の区別が、無くなったような感じとなるのである」という多田宏先生が受けられた印象のとおりだと思います。

取り敢えず、そんなことがあるようだという程度の理解でも宜しいかと思います。
村上和雄先生(DNA解明の世界的権威、筑波大学名誉教授)の言葉に、「脳は私たちが『できる』と思っていることしかできない。逆にいえば、『できない』と考えていることはできないのだ」というのがあります。人間の脳は、「そんなことはない」とか「そんなことはできるはずがない」と思っては、それ以上のことを考えなくなるのです。
「人間の能力、可能性は決して無限ではありません。遺伝子に書かれている以外のことは出来ないのです。ただ、人間の遺伝子で現在働いているといわれるのは5%から、せいぜい10%で、後はまったく眠ったままの状態に置かれています。つまり細胞の中の遺伝子は、A、T、C、Gからなる30億の膨大な遺伝子情報を持ちながら、そのほとんどはOFFの状態にあるということです。したがってまずどのようなことでも可能性はある。無限と思ってもなんの差し支えもありません。人間の可能性が無限であるという考え方は、私たちの脳が『可能と思ったこと』は可能だということです。世の中では奇跡が時々起きます。奇跡とは大半の人が『不可能』と思う事が『可能』になることです。しかし遺伝子的には奇跡もプログラムのうち。私たちは皆『奇跡の人』の可能性を持って生まれてきているのです」(村上和雄)

武産合気の結びは、体的な「触れる」とか「力を抜く」とかいう感覚的なものではないと思います。
「種を有しても(種を蒔いても)大地が愛をすってうけてくれねば結び生ぜぬ。故に、初(はじめ)の兆しの愛の氣(ス声)に結びて武産の愛の氣を以て業を生め。一時のからくりでなく(小手先の感覚的な技術でなく)、神業の神力が生じてくる」(武産合気の神示、『合氣道で悟る』p.43)
「無念無想」は年期がいりますが、「愛の情動」であれば、柳生新陰流の柳生延春宗家がおっしゃる、相手と対峙した時に「さあ、いらっしゃい(ス声と同じ愛の言霊)」という気持ちになるところから入っても良いかと思います。
「今迄の武道は、長い年期を入れないと自分になれなかったのですが、私はすぐにも了解し得る道を開いたのであります。…生通しの生命を腹中に胎蔵し、宇宙も悉く腹中に胎蔵して、自分が宇宙となるのであります」(『武産合氣』p.70)

八千代合気会の指導員には、「知っていることはすべて教えましょう」とお願いしています。誰も出来ること、知っていることしか教えられませんが、技は盗むものであると考えて教えなかったり、自分が体得したものが最高であると思って、それを他人に教えるのはまずいと考えていたら向上は望めません。すべてを教えながら自分も稽古させて頂いていると考えると、教える者も教えられる者も互いに啓発されて、更にその奥が分かって来ると思う故です。
また、教えられる側の会員には、「私には出来ない」とか「師範が教えているのは上級者向けで、私のレベルでは一、二、三、四と順に足運びはこうで、手捌きはああでというように覚えなければならない」という狭い観念を持たないようにお奨めしています。
指導員は、持っている最高のレベルをお伝えしようとしていますが、たとえ「一、二、三、四」という稽古であっても、合気道では、最初から極意(武産合気の神示:武の極意は形はない、心自在に生ず)の稽古をしていると思って取り組んで下さい。

合気道の技の方から眺めるということなので、そのような稽古をして、皆が開祖の伝えようとされたところが悟れるようになりたいと願っています。
posted by 八千代合気会 at 17:22| 日記

2015年08月03日

古事記 現代語譯 古事記(2)

合気道から『古事記』を眺めると、次の「奥深いもの」と言われているところがきっと分かるようになってくると思います。
「講演をなさる時、普通の学者が理論的、科学的に話をするのとちがって、大先生は断片的に話されるので、聞く人によってはひじょうに分かりにくいわけなのです。大先生の中には、常識では測りがたい奥深いものがあり、それをちょいちょい引っぱり出してお話になるので、最初のうち凡人にはさっぱり分かりません。しかし何度もお目にかかり、お話を素直にお聞きしているうちに、奥深いところから割り出されているのだという前提でお聞きすると、断片的なものが、自然につながっていくから不思議でした」(『合気道開祖 植芝盛平伝』pp.27-28)
開祖が、「合気道を学ぶものは古事記を学びなさい、なぜならば合気道は古事記の営み(実行)であるのだから」(『へちまの葉』p.128、132)と勧められていますが、それは開祖の断片的な合気道の理合や奥義に関するお話が一つの体系として繋がって来るからだと思います。

開祖が『古事記』からお話をされる時には、国学 → 古神道(復古神道)・言霊学 → 教派神道(の一派、大本)という流れの中での解釈に従っておられます。この古神道は賀茂眞淵(1697 – 1769)の復古国学まで遡るとか平田篤胤(1776-1843)になって神道思想が強まったとか言われています。『古事記』が編纂された和銅5年(712)当時は陰陽説が融合した老荘思想の影響があったと思われますが、古神道や大本の教えが形作られる段階で、仏教、キリスト教(漢訳聖書)及び明治期以降には西洋の科学の影響も受けています( 古神道は儒教、仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想というのが定説ですが)。即ち、古神道はムスビによる神人合一の道(神ながらの道)ですが、これにキリスト教から「愛(万有愛護)」の概念が導入されたもの(大本の教義)をベースにして開祖がお話されていると理解して宜しいかと思います。

宗教だからということで毛嫌いさえしなければ、100年余りの間に確立された、意味がはっきりした言葉(定義が確定している『古事記』の中の言葉)によって合気道の理合や奥義を知ることが出来ると思いますので、『古事記』を神話として見る立場を離れて取り組みましょう。
「合気道を学ぶものは古事記を学びなさい、なぜならば合気道は古事記の(中に述べられている古神道の解釈に従った/古神道の定義による言葉によって説明される)営み(実行)であるのだから」
私は、合気道の理合や奥義はシンプルなものだと思いますが、開祖がそれを『古事記』の言葉で幾重にも、また、いろんな側面から説明されていると思っています。

序文
過去の時代(序文の第一段)
「宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、その氣性(氣象)はまだ十分でございませんでしたので、名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。それからして天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神(造化三神)が、すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました」
これは、天地開闢(『霊界物語』では天地剖判)のくだりです。

『日本書紀』では、「古(いにしえ)天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰・陽、分かれざりしときに、渾沌たること鷄の子の如くして、溟A(ほのか)に牙(きざし)を含めり。其れ清く陽(あきらか)なるは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と爲り、重く濁れるは、淹滞(つつ)いて地(つち)と爲るに及びて、精(くわ)しく妙なるが合えるは摶(むらが)り易く、重く濁れるが凝(こ)るは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天(あめ)先(ま)ず成りて、地(つち)後に定まる。然して後に、~聖(かみ)其の中に生る。故、曰く、開闢の初めに洲壤(くにつち)浮き漂うこと譬えば游ぶ魚の水の上に浮べるが猶(ごと)し。時に、天地の中に一つ物生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなわ)ち~と化爲(な)る。國常立尊(くにのとこたちのみこと)と號(もう)す。【至りて貴きを尊と曰い、それより餘(あまり)を命と曰う。並びに( どちらも)美舉等(みこと)と訓(よ)む。下(しも)皆(みな)此(これ)に效(なら)え】 次に國狹槌尊(くにのさづちのみこと)。次に豐斟渟尊(とよくむぬのみこと)。凡(およ)そ三はしらの~。乾道(あめのみち)獨り化(な)す。所以(ゆえ)に此れ純(まじりなき)男(お)と成す(卷第一 第一段 一書第四にやっと古事記と同じ造化三神が「又曰く、高天原(たかあまはら)に生(な)れる~は、名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と曰う。次に高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)。次に~皇産靈尊(かむみむすひのみこと)。皇産靈、此を美武須毗(みむすひ)と云う」と異説として付記されている)」(http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/01/01/fr.htm)と書かれている部分です。

これに次の部分を合わせて読むと良いと思います。
一、イザナギの命とイザナミの命
天地のはじめ
「昔、この世界の一番始めの時に、天(高天原)で御出現になつた神樣は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、この御三方は皆お獨(ひとり)で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました」

簡単で短い部分ですが、合気道にとっては重要な部分です。
posted by 八千代合気会 at 20:31| お勧めの本