2015年10月07日

開祖の合気(13)

8) 合気の魂の円(えん)
「円の働きのめぐり合わせが、合気の技であります。技の動きが五体に感応して、おさまるのが魂の円(原文は円の魂)であります。
円は皆空(みなくう)で、皆空の中から生み出すのが心であります。皆空とは自由自在のことであります。皆空に中心が生ずるとき気を生み出します。皆空の中心より無量無限の宇宙に気結び、生結びするのが魂であります。魂は一切を生み出すものであり、不滅の生み親であります。
(魂の)円を五体の魄(原文は魂)におさめると、技を生み出す仕組みの要素を生じます。産むは無限であります。すべてを豊かに満ちたる仕組みになすのが円の現われであります。
円は宇宙にある一切の万物生物を、気結び、生産(いくむす)びの形にて、生成化育し、守護の仕組みを生じさせます。世の中の因縁も円(まる)い動きのめぐり合わせであります。合気の武も円いのであります。
また、合気をもって物(魄)と心(魂)を合わせ、生き栄えていく仕組みをもつのが魂の円であります。宇宙の気はすべて魂の円におさまります。おさまるがゆえに技も無限に包蔵され、生み出すこともできます。これが合気の魂の円であります。
この魂の円がなければ栄え、また精進、魂魄和合のはこびはできません。これがなければすべて五体への還元はなくなるのであります。魂の円(原文は円の魂)の皆空は宇宙一体に帰します。
これは合気の武の根元( 合気の根源の項 参照)でありますが、魂の円を体得した極意には、相対の因縁動作を円に抱擁し、掌に握るごとく、すべてを吸収します。己に魂があれば、人にも魂があり、これを気結び、生産びして円の本義の合気を生み出させれば、円はすべてを統合します。いかなるものも自由にとけるのが円であります。
円の極意は皆空の中心をつき、技を生み出すことにあります」(『合気神髄』pp.120-121)

この「魂の円」は解説が必要かと思います。
これは合気道新聞第4号(昭和34年7月10日)の道文「圓(円)の本義」に載っているもので、第3号の空の気と真空の気の結びの説明に続くものです。「合気の原理」「合気の神髄」とも関連していて、開祖が体得された真の合気の道の根幹をなす部分だと思います。
道文には「魂の円」と「円の魂」という言葉が混在していますが、「魂の円」が正しいと思います。『霊界物語』にはなく、開祖の造語の故に用語の混乱が生じたのではないでしょうか。肉体(魄、五体)に重なった気の身体を「魂」として、この気の身体を天から(上から)見ると、中心を臍下丹田、又は正中線とした円形になっていると意識されるのと、この気の身体が螺旋に廻るので「魂の円」と表現されたのだと思います。
魂の円_s.jpg

まず、合気道新聞第3号(昭和34年6月10日「創造の武」、『合気神髄』pp.66-68「空の気を解脱して真空の気に結ぶ」)から関連のある言葉を抜粋します。
五体:「武は人のなす技に、喰い込み、喰い合せ、喰い止まって、その動きと働きに仕組んであります。これは五体(魄)の働きであります」
中心:「また、武は技(魄)と光(魂)を結ぶ事に力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるであります。この中心は腹であります」

ここで、「皆空(みなくう)」ですが、般若心経にある「五蘊皆空」の「皆空(かいくう)」と同じ意味で、「知覚できる実体のない空(まったく何も無いのではなくて、何かを入れるスペースがあること)である」と理解して宜しいかと思います(http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-202.html参照)。
万有愛護の気持ちで立って、気の身体(魂の円)を皆空と感ずることによって、相手が自分を打とうとする気がスーッと中心にまで入って来てくれると思います。「宇宙の気はすべて魂の円におさまります」や「円はすべてを統合します。いかなるものも自由にとけるのが円であります」という説明もそうですが、次の説明も同じことを言い表されています。
「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする。自己の中に吸収してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのである。世界を一目に見るのである」(『合気神髄』p.15)

「皆空とは正しき身魂の和合統一のことなり」(『合気神髄』p.53)ですから、「合気道においては常に相手がなく、相手があっても、それは自分と一体になっていて、自在に動かせる相手なのです」(昭和32年刊『合氣道』p.201)となり、「皆空とは自由自在のことであります」という謂いになります。

「魂の円( 原文は円の魂)の皆空は宇宙一体に帰します(宇宙と一体になります)」とあることから、皆空の中心は宇宙の中心と一つになる、即ち「我は即ち宇宙」の状態になった時の我の臍下丹田(腹)であると分かりますが、皆空ということですから、空(から)にした己の腹中(中心)まで相手が入って来るのを妨げないことかと思います。
大本教の教えの無抵抗主義を表す次の図が良く出来ていて、相手を中心まで迎え入れているのが分かります(http://onido.onisavulo.jp/img/rm_blog/muteikousyugi.jpg)。
無抵抗主義.jpg

武産合気の神示に「皆、空に愛の氣を生じて一切を抱擁する。之、武産也」(『合氣道で悟る』p.43)とあるとおり、無抵抗主義になると「(相手と自分という)相対の因縁動作を円に抱擁し、掌に握るごとく、すべてを吸収します」で、相手の体の大小に関わらず自分の腹の中心に入って来てしまうのが不思議です。

「円の極意は皆空の中心をつき、技を生み出すことにあります」は、「合気道においては常に相手がなく、相手があっても、それは自分と一体になっていて、自在に動かせる相手なのです」(昭和32年刊『合氣道』p.201)と同じことを表現されていることが理解できるでしょうか。

吉祥丸二代道主が、「円転の理」として取り上げられた理は、この「魂の円」も意識されてのことかと思います。
「この動きは、合気道のいわゆる“押さば廻れ、引かば廻りつつ入れ”ということであって、常に自己が中心となった円転の理の活用である」(昭和32年刊『合氣道』p.36)
開祖よりも二代道主の動作を主体にした解説が分かり易いかもしれませんが、触れて制する合気道から吸収する合気道に持って行くには開祖の説明のとおりに心の働きを理解するのが王道かと思います。

この魂の円を詠んだと思われる道歌があります。
「あかき血に仕組む言靈此妙技 もちろと○を出だしてぞ生む」
「六合(りくごう、宇宙)の 内限りなくぞかきめぐり きよめの道は○ともちろに」

「もちろ」は「△○□」という合気道の体の動きを表す言葉で、開祖は「物の霊(魄、体)」と仰られています。現道主が、「入身と転換の捌き」とご指導されている体捌きであると理解するのが良いと思います。
そうすると「○」は△○□(もちろ)の一つではなく、魄と一体になった魂を表すもののはずで、「魂の円」のことだと推察できます。「まる」と読むより「えん」と読めば良いのでしょうか。
これらの道歌は戦後になって作られたもので、開祖が見出された真の武を詠われたものです。

「念を去って皆空の気にかえれば生滅を超越した皆空の御中心に立ちます( 天の浮橋に立つこと)。これが『武道の奥義』であります」(『合気神髄』p.80)
「魂の円」は、開祖の合気の奥義を表す言葉です。分かるようになるまで、何度も読んで考えましょう。
posted by 八千代合気会 at 23:50| 日記