2016年04月20日

古事記 現代語譯 古事記(13)

次に続くのが、成婚の段です。
「その島にお降りになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てになりました。
そこでイザナギの命が、イザナミの女神に「あなたのからだは、どんなふうにできていますか」と、お尋ねになりましたので、「わたくしのからだは、できあがつて、でききらない所が一か所あります」とお答えになりました。そこでイザナギの命の仰せられるには「わたしのからだは、できあがつて、でき過ぎた所が一か所ある。だからわたしのでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして國を生み出そうと思うがどうだろう」と仰せられたので、イザナミの命が「それがいいでしよう」とお答えになりました。そこでイザナギの命が「そんならわたしとあなたが、この太い柱を𢌞りあつて、結婚をしよう」と仰せられてこのように約束して仰せられるには「あなたは右からお𢌞りなさい。わたしは左から𢌞つてあいましよう」と約束してお𢌞りになる時に、イザナミの命が先に「ほんとうにりつぱな青年ですね」といわれ、その後(あと)でイザナギの命が「ほんとうに美しいお孃さんですね」といわれました。それぞれ言い終つてから、その女神に「女が先に言つたのはよくない」とおつしやいましたが、しかし結婚をして、これによつて御子 水蛭子(ひるこ)をお生みになりました。この子はアシの船に乘せて流してしまいました。次に淡島(あわしま)をお生みになりました。これも御子(みこ)の數にははいりません。
かくて御二方で御相談になつて、「今わたしたちの生んだ子がよくない。これは天の神樣のところへ行つて申しあげよう」と仰せられて、御一緒に天に上(のぼ)つて天の神樣の仰せをお受けになりました。そこで天の神樣の御命令で鹿の肩の骨をやく占い方で占いをして仰せられるには、「それは女の方が先に物を言つたので良くなかつたのです。歸り降つて改めて言い直したがよい」と仰せられました。そういうわけで、また降つておいでになつて、またあの柱を前のようにお𢌞りになりました。今度はイザナギの命がまず「ほんとうに美しいお孃さんですね」とおつしやつて、後にイザナミの命が「ほんとうにりつぱな青年ですね」と仰せられました。かように言い終つて結婚をなさつて御子(みこ)の淡路(あわじ)のホノサワケの島をお生みになりました」

大きな柱は「天之御柱(あめのみはしら)」、大きな御殿は「八尋殿(やひろどの)」です。
合気道では、天之御柱は皆空(みなくう)の中心、自己の正中軸で、宇宙の中心と感得されるものです。八尋殿はムスビによって島生み、神生みを行われる建物で、武産合気の道場と理解して良いかと思います。道文に産屋とあるのも、この八尋殿から来ています。産屋はお産をするための小屋ですが、武産の武の場合、結び(産び)によって武を産み出す道場になります。合気道の産屋と固有名詞で呼ぶときは、合気神社の隣にある現在の茨城支部道場を指します。
したがって、これらは合気道の根本的な理合「結び」を示すものとして大変重要です。その理合が、天之御柱をイザナギの命が左から廻られ、イザナミの命が右から廻られた部分にも示されています。

開祖が古事記の営みによって合気道の理合や技法を説明されるのは、イエス・キリストが譬(たと)えによって教えや信仰のあり方について語っておられるのと同様、聞く者の理解力に応じて具体的で目に見えるように理解できるためだと思って下さい。
開祖の信仰が神道にあったからとかある特定の宗教にあったからと考えて理解しようとする眼を閉じてしまわないで、あるいは開祖が武道の秘密主義によって大切なことを隠されようとしているためだなどと諦めてしまわないことを願います。

「合気道の……〈ここでは結び〉とは、正に古事記の営みの……のようだ」と譬えられているのです。
「(古事記の)タカアマハラというは全大宇宙のことであります。宇宙の動きは、高御産巣日神、神産巣日神の右に舞い昇り左に舞い降りるみ振舞の摩擦作用の行為により日月星辰(じつげつせいしん)の現れがここに存し、宇宙全部の生命は整って来る。そしてすべての緩急が現れているのです」(『武産合氣』pp.77-78)
「こうして合気妙用の導きに達すると、(古事記にあるように)御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火(魂魄、霊と体)の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。…この摩擦連行作用を生じさすことができてこそ、合気の神髄を把握することができるのである」(『合気神髄』p.87)
「また、地球修理固成は気の仕組みである。(即ち)息陰陽水火の結びである。そして御名は伊邪那岐、伊邪那美の大神と顕現されて(右に舞い昇り左に舞い降りるみ振舞をされた)、その(それを)実行に移したのが合気、どんなことでも出来るようになってくる」(『合気神髄』pp.88-89)

この結びは、手と手が触れる接触点や自分の臍と相手の臍とを結ぶ中間点で出来るものではなく、宇宙の中心、皆空の中心、自己の正中軸、即ち天之御柱を右旋して舞い昇る相手の気と左旋して舞い降る自分(宇宙)の気との摩擦作用( 包容同化といってもよい)によって生じるものです。相手の攻撃は、後ろ足で地を蹴って、その反発力を手(剣先、拳先)に伝えようとして上昇して来ます。それを受入れながら同時に相手を皆空の中心(腹中)に吸収する(結ぶ)と下降の気となって、これに相手が導かれ(連行され)下に倒れます。

八千代合気会の皆さんにはこれだけの説明で分かると思いますが、直ぐに分からなくても結構です。分からないなりに、ここから得られるイメージを大切にして、摩擦連行作用とは何だろうかと考え、こうだろうかと工夫を重ねて下さい。
そのイメージ作りのために、なぜ右旋が昇りで左旋が降りになるのかということについて図示しながら説明を加えます。

私が古神道を学んだ時に講師の先生から、気は右回りに昇って、左回りに降る、と教えてられました。開祖の話とぴったり一致しているので、その先生に、気が見えるのですか、と不思議に思ってお尋ねしたら、昇り龍、降り龍もそのように彫られているという答でした。また、樹木は右回りに上に伸び、雷は左回りに落ちるとも言われましたが、昇り龍・降り龍は必ずしもそのように彫られていないようです。植生も朝顔は上から見て左巻きです。
それで、これは古神道の解釈だと思い至りました。
右旋・左旋と上昇・下降の関係は古神道では常識のようで、『古神道入門』などを著わされている小林美元先生が「地の気は陰の気であり、天の気は陽の気である」、「地の気は時計回り(上から見て右回り)で上昇し、天の気は時計と逆回り(上から見て左回り)で下降するエネルギーである」と教えられています。
古神道の右旋が上昇で、左旋が下降というのは、陰陽五行説からではないかと思われます。

古事記の成婚は天之御柱を廻って行われましたが、平成26年(2014)に高円宮家の次女典子さまと、出雲大社権宮司の千家国麿さんがご結婚された時も天之御柱の周りを国麿さんは左回りに典子さまは右回りに廻られました。

この報道記事に基づいて右旋・左旋のイメージを絵にしたものが次の図です。右旋しながら上昇して、左旋しながら下降するとしたら図のような螺旋階段を昇降することになります。昇り龍も写真のものは右旋です。
気の交流1.jpg


このように陰の気は右旋して上昇し、陽となり、陽の気は左旋して下降し、陰となるということを、開祖が合気道の結びの説明に用いられています。
気功で、右回りの気はエネルギーの集中を左回りの気はエネルギーの開放を意味しているそうです。多田宏先生が開祖から受けられた印象のとおりではないでしょうか。
「ある時期、私(多田先生)は不思議なことに気がついた。先生(開祖)に近寄ったとたん、自分の心と体が何か透明な感じになる。そして先生に触れると、それはよりはっきりして、まるで自分と先生の心と体の境の区別が、無くなったような感じとなるのである。それは先生の修行で得られた、対峙を超えた心から生じる大きな気の力が、我々を包み込んだのであろう」

開祖が「スミキリ」と言われたりするのも、この回旋のイメージをお持ちだからと思います。
「腹中に吸収して」と言われるものは、左半身で入身すると相手が右回りに腹中に入ってきて、それを迎えて一体になって左回りに技を施すと摩擦連行作用によって相手が導かれて倒れるということかと思います。
この時、表層筋の動きだけに気を用いると上手く行かないと思います。脊柱にその名も回旋筋(深層筋)というものが付いていますが、深層筋から動くということも必要だと思います。この時の構えや足運びは「うぶすな(産土。「うぶす」は誤り)の社の構え」(『合気神髄』pp.69-70)で、この記述とも一致します。
この辺りまで考えを及ぼすと、開祖が古事記の営みで説かれるところは奥が深いと思います。各々の理解に応じてという所以かと思われます。

posted by 八千代合気会 at 10:58| お勧めの本

2016年04月10日

開祖の合気(20)

以上述べた開祖の合気が大東流の合気から見たらどうなのかということが大東流の佐川幸義宗範によって検証されていますので、それを加えて締め括りとしたいと思います。
このことは、『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』、『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義』、『大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気 ―力を超える奇跡の技法“合気”への道標』などを読むと目に入ってきます。

私は大東流を習ったことはありませんし、佐川宗範も存じ上げません。佐川宗範の技の動画は撮影されていないようですが、本に写真が載っていて、そのわずかな知り得る範囲内でも大東流内では卓越された方だと思います。惣角師の没後、宗家を継がれ、武田時宗師にその宗家を譲られてから総師範という意味の宗範という称号を与えられていることからも、関係者が認める確かな方だと思います。武道家としても、修行に取り組む姿勢が真摯で、自分を厳しく律しておられ、武田惣角師の名誉を守ろうとされている姿も尊敬に値すると思います。
それだけに何故、合気揚げで開祖の両手首をつかみ、開祖が手を揚げられないと見て、面目を失わせないため「最後には悪いから手をあげさせてあげた」というようなことを他人に吹聴するのかということが長い間の疑問でした。
幕末の剣聖 男谷精一郎は、必ず試合で3本に1本は相手に勝ちを譲ったことで有名ですが、その場合、決して打たせてやったというようなことは言わず、「お見事でござる」とか「参った」と言って相手を立てたようです。その点で、佐川宗範に対して武道家らしからぬという印象を抱いてきました。

しかし、よくよく読んでみると、これは勝負をしたのではなく「(武田惣角)先師のような合気が植芝にあるかどうかを知りたくて」ということが目的であったと書かれていました。その結果、開祖には惣角師のような合気が全くないことを確認して手を上げさせた、と内部の人に語ったことが本に載ったようです。
大東流の合気に対する佐川宗範の目は確かなようですので、これで少なくとも開祖の合気は大東流の合気とは違うということが認められました。

しかし、開祖がご自分でおっしゃられている(これまでにまとめた)合気がないかというと、そうとは言えません。
開祖は、今武蔵と恐れられた國井善弥師に、合気道はインチキだ、許しておけないと思って勝負を挑まれた時、「國井先生、よくいらっしゃった、さあどうぞ道場の看板を持ってお帰り下さい」と切り出し、その言葉を聞いた國井師が、バツが悪くなって苦笑いしながら引き上げたというエピソードのある方です。
佐川宗範のときも、その意図を察していて対応されたと思います。惣角師が「植芝には合気は教えていない」と言っていたそうですので、開祖が惣角師の合気は示せなかったはずで、手首をつかまれた時に揚げられませんという反応をされたと思います。このことで、佐川宗範も満足したはずです。
この時は大東流の宗家も(大同団結を呼び掛けるため)同席しての上のことです。佐川宗範は、合気道は大東流の一派と考え、大東流内部のこととして惣角師の合気(補足 宗範は惣角師が作ったのであろうと言っている)を開祖が会得しているかどうか確認しようとしていますが、開祖は、それに応じて開祖の合気で手を揚げると、合気道と大東流の優劣を争うことになるとはっきりと認識されていたことでしょう。確かに大東流の合気はマスターしていなかったでしょうから、手を揚げるなら合気道の理合で揚げることになってしまいます。そして、そのことは佐川宗範には直ぐに分かってしまうことです。

皆さんならこういう時にどうされるかですが、開祖が執られたこの二つの対応に共通するところは敵を作らない、争わないということのようです。大東流とは事を荒立てないで(自分の方から口に出さないで)、静かに去らせて貰いたかったのではないでしょうか。
昭和6年(1931)4月に惣角師の教授を受けた後は、惣角師が来訪されても居留守を使ったりされたようですが、これもやんわりとした意思表示ではなかったかと思います。昭和7年(1932)7月26日に大本内に大日本武道宣揚会が創立(8月13日発会)され、開祖が会長となっているので、居留守はこれ以降のことではないかと思います。出口王仁三郎聖師が惣角師に対して「血の臭いがする」と言って、人間的には余り好まれなかったことと無関係ではなかったと思います。

「いくら精神力とか気の流れとかいったってそんなもので自分よりはるかに大きい者を倒す事はできるものではない」とか「合気は気の流れなどといった考えからは、いくら何をやっても出てこない」というのが佐川宗範の大東流の合気から見た開祖の技に対する評価です。
倒すことが出来るか出来ないかは別にしておいて、このことで宗範といわれる人から合気道は大東流の一派ではないとみなされる(惣角師の合気を受け継いでいないと判定される)ことになりました。
これは昭和31年(1956)のことでしたが、佐川宗範にとっては大東流の合気が開祖にないということを確認する機会となり、合気道側から見れば、晴れて大東流と合気道は違うということが宗家にも佐川宗範にも受け入れられることとなりました。
双方にとってWin-Winですので、これからも大東流は大東流、合気道は合気道として認め合って行けば、日本の武道界にとってプラスになると思います。

開祖の技については、私も昭和42年(1967)4月9日に間近で拝見しました。目にしたのは気形の稽古の動きそのものでした(同じ時期の動画https://www.youtube.com/watch?v=XoDK3XuvZWw参照)。弟子の剣を額に当てておいてから、弟子がその位置から降り下ろす剣をスッと避けて、手に持った扇子で面を突くと、2、30 cm扇子から顔が離れているのに、弟子がパッと仰け反って受身を取って倒れていました。立技呼吸法では、開祖の手を取ろうとする弟子の手が60 cm位離れていましたが、開祖が弟子の方を見ないでパッと手を振ると、これも弟子が開祖の手に触れないまま後ろに倒れていました。
私も、佐川宗範ではありませんが、触れてもいないのに倒れるのは弟子が勝手に受身を取っているからではないかと疑問に思い、後になってからですが、教えを受けていた直弟子であった師範にお尋ねしました(弟子が開祖の腰に手を当てて押すのもありましたが、この時は畳表に皺がよる程弟子の足に力が入っているのが分かりましたので、不思議でしたが疑問に思うことはありませんでした。)。
その時、師範は、次のようなエピソードを話して下さいました。
「開祖が顔の前で腕を振られると腕が太い丸太のように見え、パッと手を上げられると手がグローブのように大きく見えるのです。それで、離れていても直ぐ目の前に開祖の腕や手が来ているように感じて受身を取るのです。ある時、それを不思議に思った弟子が、目をつむっていたらどうなるだろうかと考え、開祖が向こうを向いたまま手を振られた時に目をつむりました。案の定、直接当たっていないので、上を向いて目をつむったまま、その弟子は飛ばされないで突っ立っていました。そしたら、バタンという音がしないので後ろを振り返った開祖が、『馬鹿者!(真剣勝負で目をつむって、じっと突っ立っている馬鹿がどこにいるか)』と怒鳴られ、仰向き加減になっている顔を上から手で叩かれたら、グシャッというような音がして、弟子が畳に叩き潰されていました。そして、その後2、3日フラフラしていました」

宇宙と一体となった自分の腹中に相手を吸収して同化する(宇宙に結ぶ)開祖の合気は、実際に開祖のお話のとおりであったのです。それは、佐川宗範の見ているとおり大東流の合気とは異質の理合に拠るものです。開祖が「私は今まで、各流儀を三十流ほどやりました。柳生流の体術をはじめ、真揚流(天神真揚流)、起倒流、大東流、神陰流(加藤田神陰流)などいろいろやりましたが、合気はそれらを総合したものではないのであります」(『合気神髄』pp.31-32)とおっしゃられているとおり今までにないものです。

八千代合気会の皆さん、確かに開祖は新しい道を開かれたということが理解出来ましたら、これまでの「開祖の合気」を最初からもう一度読まれ、概念を自分の言葉でまとめてみて下さい。そして「今迄の武道は、年期を入れないと自分( 真我、愛の存在)になれなかったのですが、私はすぐにも了解し得る道を開いたのであります。それだけ今迄の武道と合気道は違うのであります」(『合氣神髄』p.70)と言われているので、それを稽古に取り入れられるようにしましょう。
私も、最初から全体の構想がまとまっていて書き上げた訳ではないので、何度も読み返してみます。そして、このブログも間違いがあれば修正しながら稽古に生かして行きたいと思いますので、時々、このブログを開き直してみて下さい
また、お互いに高めあって行きたいと思いますので、何か気付かれたことがあればフィードバックをお願いします。
posted by 八千代合気会 at 07:39| 日記