2017年07月19日

古事記 現代語譯 古事記(15)

「淡道之穂之狭別島(あはみちのほのさわけじま)といふは 烏うゆ(む声)と結ぶ言霊」(『霊界物語』6-5-28)と出ていますが、「烏うゆ(む声)」は「淡道之穂之狭別島」の霊返し( たまかえし、言霊を約めること。例:フジの霊返しはヒなり)ではなかろうか、というのが大本の方のご意見でした。「烏(う)」と次の「う」は表記が違うので、王仁三郎聖師によると、最初のウと2番目のウは、違うウなのだそうです。この部分は「淡道之穂之狭別島」と称えると、「ウウユ」となり、最後は「ム声」になりますというような、「・・・になる」「至る」というのが自然で、「結ぶ」に近い表現かと思っています、と教えて下さっています。

「天之武産合氣業」図と同じ言霊で示されているのは、「スーウウウウユ−ム 淡道之穂之狭別(あわじのほのさわけ)の行という」(『武産合氣』p.89)です。
⦿(ス)からウが生まれ、ウウウユームと、最期に結ぶ言霊(ム声)に至って、このムスビによって島々の生成(産み出し)が行われるところが武産合気の技の産み出しと同じなので、開祖が取り上げられているようです。これらの言霊の意味は詳しくは分かりませんが、次の部分が参考になるかと思います。
「大虚空一点のヽ(ホチ)あらはれて スの言霊は生れ出でたり ・・・ 主の神の初声(うぶごゑ)にあれし言霊は 宇迦須美の神のウ声なりけり ・・・ 一さいの真中にまして万物の  根本にますスの言霊よ ・・・ むしわかし結び連ぬる活動は ムの言霊の活用なりけり  穏かに強き弱きを引きならす 功(いさおし)はユ声の言霊なるも ・・・ ワ行ウの生言霊は生み生みて 生みの果しを守らす神なり」(『霊界物語』73-1-6)
「ウ列は森羅万象の結びに居り
(中略)
ムームームーム ム結びの神業の鳴り鳴りて 今生(あ)れまさむ国魂の神
ユーユーユーユ ユ白雪よりも清らけき 畏き御子の生れます今日(けふ)はも」(『霊界物語』75-2-8)

恐らく簡略化したものだと思いますが、合気道新聞 第90、98、99、104号には「ウーユームー」「すーうーゆーむー」「すーぅーゆーむ」と書かれている箇所があります。
「言霊と云うのは宇宙組織のひびきのことをいうのであります。スーウーユームー、これをホノサワケの島というのです」(『合気神髄』p.29)
「合気は和と統一に結んでいくのである。・・・これは艮(うしとら)の金神の神の御教(みおし)え、そして小戸の神業で、真人養成の道である。ホノサワケの島。天の浮島( ホノサワケの島)というのは・・・自ら巡るというのが天の、浮島の方は・・・二つのものが水火結んでいく、霊界も顕界も一つにする。(天のは)アオウエイという天の御柱(みはしら)、(浮島は)スーウーユームー(と水火の結び) 合気は気の仕組み、魄と魂、魄は宇宙組織の魂の糸筋を磨いていく、魂に神習うていく己れの岩戸開きである。・・・いつも我々は気を通して魂を磨く。そして太古の昔に舞い戻って太古から立て直しをする」(『合気神髄』pp.140-141)

「天之武産合氣業」図には、吉祥丸二代道主が次のような解説を付けられています。
「開祖は、合気道という武道がそのように、心性的にはもっぱら「言霊」により「業」となって産み出されるものと解し、『古事記』にいうところの産霊(むすび)の思想にもとづいて「武産(たけむす)あいき」と称することを好んだ。「天之武産合気業」図において「ホノサワケ」なる語が見えるが、これは『古事記』の国産みと関連する「穂狭別(穂之狭別)」の意であり、要するに産霊をさす。また「合気之母」と自称する語が見えるが、これも産霊を念頭においての謂(いい)であろう」(『植芝盛平生誕百年 合気道開祖』p.11)

愛の言霊「ス」によって結び(相手を腹中に吸収し)、一体となって導く業(技)を産み出すことを武産合気といい、それを「天之武産合氣業」図に示されたのだと思います。

「むすび」について、安岡正篤著『日本の伝統精神:この国はいかに進むべきか』に次のように説明されています。
『しからば神むすびの神の本質・使命というものはどういうものであるか、という事になりますると、これは深い神道上の「神ながらの道」の問題でありますが、かいつまんで申しますと、いうまでもなくこれは「むすびの精神、むすびの道」の一つの代表であります。
「ムスビ」とは糸ヘンのあの結びという字を書き、これを古典に徴(ちょう)しますると、「霊を生む、魂を生む、産霊(むすび)」という字を当てはめたり、これを具象化して、鳥の巣を太陽が暖かく照らして、そこに卵が孵化(ふか)する。「産(う)む」という字と、鳥の「巣」という字と、太陽の「日」という字とを並べて「産巣日(むすび)」とも書いてある。
それらによってもわかりまするように、創造(クリエーション)即ち生命を生み、いろいろの力や業を作り上げてゆく働き、これを「ムスビ」というのであります。
今日の科学によっても明らかでありますように、孤立単独では何物も生まれませぬ。原子と原子とが結びつかなければ(核融合)それは大きな力にはならない。核分裂の原子力もあるではないかと言いますが、これは分裂の奥に融合があるから、分裂の力にもなるのであります。融合統一のない分裂はないのであります。
人間も如何なる英雄、偉人でも単独ではお産ができませぬので、どうしてもやっぱり「縁結び」といって男女が結ばれぬというとお産にはなりませぬ。釈迦も講師も、キリストもみな結ばれて出来た人間であります。
その結び、即ちいろいろの力、生命、徳というものが組み合わさって、新しい力、生命、徳を生んでゆく。その創造を意味する所の「結び」に二種の作用がある。それが「高御産巣日(たかみむすび)」と「神産巣日(かみむすび)」であります』

破壊の武でなく創造の武になると、きっと相手(受け)は「ある時期、私は不思議なことに気がついた。先生に近寄ったとたん、自分の心と体が何か透明な感じになる。そして先生に触れると、それはよりはっきりして、まるで自分と先生の心と体の境の区別が、無くなったような感じとなるのである。それは先生の修行で得られた、対峙を超えた心から生じる大きな気の力が、我々を包み込んだのであろう」(多田宏先生の感想)という気持ちになると思います。

天神楽(あめのかぐら)は「淡路之穂之狭別の行」とも呼ばれていました。開祖は、この時に「スーウウウウユ−ム」と言霊を発しながら舞われたようです(http://blog.goo.ne.jp/takemusu_001/e/a58814cef881d3cce9cbb77e4f9f7ad5参照)。

昭和42年(1967)4月9日に開祖の演武を拝見した時、最初に見せられた技が正面打ち入身投げでした。その時、開祖は、「スーウ〜ウ〜ウ〜ウ」と抑揚のある気合(言霊)を発せられ、360°転換して相手を導かれてから投げられました。今になってやっと、「ムスビ」をお示しになられたのだと感じます。
posted by 八千代合気会 at 11:42| お勧めの本

2017年07月12日

合気道の創始−命名(3)

大東流合気柔術が「門弟その他一般には植芝流合気柔術(原文は植芝流合気武術)の名で通った」ということは、大正9年(1920)に開祖が綾部移住を決意した時、出口王仁三郎聖師から「大東流とやらも結構だが、まだ神人一如の真の武とは思われぬ。あんたは、植芝流でいきなされ」(『合気道開祖 植芝盛平伝』p.116)と諭されたことと関係があります。大東流柔術は大東流合気柔術と改称されましたが、真の武を求めるために、それを植芝流の神人一如(合気)の武(柔術)−植芝流合気柔術−として区別して呼んだのだと思います。
これは大東流合気柔術からの独立ではなく、合気柔術の中で目指すところ(目標)が違ったことを表していると思います(到達した位置ではなく、到達すべき方向を示す名称)。

武術や武術名が意味する範囲を考えたとき、武術>柔術>合気柔術であり、柔術から合気柔術へと特定されたものを(合気)武術にまで拡大するには、柔術に加えて剣術や槍術のような+αがなければ考え難いことです。大正11年(1922)のこの時点で、開祖が「武道の目を開かれた」と言われた大東流柔術の他にこれを凌ぐ剣術や槍術などの習得や工夫はなかったと思います。

既に植芝塾が開設された時点から、出口王仁三郎聖師と開祖(+大本の神さんの手伝い)の「真の武」を求める旅は始まっています。大東流合気柔術とは違う植芝流合気柔術と殊更に呼称した背景には、聖師から学んだ言霊の妙用を加えたこともあるのではないかと考えられます。それを物語る出来事が武田惣角師来訪の前にありました。
『また大本では、神苑に配置して庭造りをするために近くの山から出た石や、近郷あるいは遠国からの石を送って来ることもあって、中には何千貫(千貫は約3.7トン)という大石もあった。
盛平がある時、ミロク殿の西門口まで来ると、作業中の一人が、「植芝さん、ちょうどよいところへ来てくれました。あなたのところへ今使いを出そうと思ってたところです。この石を持ちあげてくれませんか」というのであった。見ると千貫もありそうな大石である。それが底地にめりこんでいる。「これはダメですよ、いくら力があってもムリですよ」と盛平が答えているところへ王仁三郎が来て、「植芝さん、これは言魂(正しくは言霊)で力を出してうごかさねばあきまへん」といった。「コトタマって何ですか」と聞くと、「この石を動かすには、ウ( 浮く、動くの意を持つ言霊)の言魂やな、真気を集めて、ウの言魂を発して浮かせるんや」といって、言魂の説明をした。
盛平は、「やってみましょう」ともろ肌をぬいで巨石に両手をあて、渾身(こんしん)の力をふりしぼり、「ウ・・・・・・」の言魂を発すると、不思議や、巨石はむくむくと動いて、ほんの少し移動した。どんな強力でも、とても動かせまいと思われた巨石は言魂で動いたのである。自分の力量を知っている彼は、全く驚くべき奇跡を体験したのである』(砂泊兼基著『合氣道開祖植芝盛平』pp. 71-72)

確かに、開祖は綾部に来てから格段に強くなったという話が伝えられています。
『和歌山の田辺に、講道館が柔道を普及するためにつくった道場があった。そこを任されていた人物に鈴木新吾さんという方がいた。
実は植芝先生は、兵役を終えて大陸から帰ったあと、ここで鈴木さんに入門して柔道を習ったのだという。
私(藤平)が植芝先生のお供をしてこの田辺を訪れたときのことだ。鈴木さんが植芝先生と昔話を始められた。
「植芝先生は、私に入門したころは弱かったよね。いつかあなたくらいに強くなれるんだろうか、なんて私に聞いていたものね。熱心なのはいいけれど、藪に肥桶を隠して稽古にくるから臭くてね」
先生は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
あろうことか鈴木さんは、私の目の前で、植芝先生が「弱かった」と言われたのだ。今まで聞いていた話と全く違う事実に、私は困ってしまった。
話はさらに、植芝先生の北海道の開拓時代に及び、武田惣角先生に大東流柔術を習ったいきさつにもふれられた。
(中略)
それでも先生は、なにしろあの武田惣角先生に習ったのだからずいぶんと強くなったはずだ。今度は負けないだろうと、田辺に帰ってきたときに再び鈴木さんに試合を申し込んだのだという。
鈴木さんはそのとき、柔道をやめて相撲をやっていた。
私は田舎相撲の大関ですよ、と言って、試合をしたらしい。
「あのときもダメだったよね。大東流を習ってきたから負けない、なんて言いながら、やっぱり弱かったよね。あのときは、先生、一カ月寝込んだね」
鈴木さんは笑いながら言う。植芝先生が鈴木さんを投げようと思った瞬間に、爪先でぽーんと飛ばされてしまったというのだ。しかも先生は、このとき腰を痛めて1ヵ月くらい寝込んだとまでいうのだ。
(中略)
「でも、先生、大本に行って修行して帰ってきたときには強くなっていたね。あのときに強くなったんだね」
鈴木さんによると、どうやら先生は綾部(京都府、大本教の本部)へ行ってから強くなったらしい。それも以前とは見違えるほど劇的に、だ』(藤平光一著『中村天風と植芝盛平 氣の確立』)。

大正13年(1924)に開祖は、出口王仁三郎聖師の片腕(ボディガード)として満州、蒙古へと乗り込みます。この時、中国武術と接点があったそうです。ブルース・フランチス(Bruce Frantzis)氏が「私は日本での学生時代に合気道開祖の植芝盛平翁先生に学びました。(中略)道場で私はしばしば、彼(開祖)は中国で何年も過ごして合気道の基礎である超自然的な「気」を持ち帰ったと聞きました」と伝えています(http://www.energyarts.com/ja/%E6%A4%8D%E8%8A%9D%E7%9B%9B%E5%B9%B3%EF%BC%88morihei-ueshiba%EF%BC%89-%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93%E3%81%AE%E9%96%8B%E7%A5%96)。
「気」だけでなく、体捌きの「転換」はこの時に中国武術の影響を受けたものではないかと思います。

大正14年(1925)には、黄金体体験によって「武道の根源は、神の愛(万有愛護の精神)である」と悟ります(『武産合氣』pp.17-18)。『「合気」という名は、昔からあるが、「合」は「愛」に通じるので・・・』(昭和32年刊『合氣道』p.50)というのは、この時の体験に根差しているのではないかと思います。
posted by 八千代合気会 at 13:46| 日記

2017年07月01日

ほんとうに危ないスポーツ脳振盪

古事記の解説を一度中断して、合気道の安全配慮に関する本を紹介します。
部活動などで夏合宿が始まる時期になりました。柔道事故の統計解析から、合宿の始めに下回生(下級生)が重大事故の犠牲になる確率が高いことが知られています。学生合気道や地域社会指導者研修会で、安全配慮の講義を聞いていると思いますが、この本も参考にして、事故ゼロを続けましょう。

この本の著者は谷諭(たに さとし)医師で、平成28年(2016) 8月に大修館書店から発行されました。
八千代合気会の指導員は地域社会指導者研修会の安全講習で「頭部外傷」と「熱中症」対策について学びましたが、脳振盪は頭部外傷に関連するものです。

著者は、東京慈恵会医科大学付属病院副院長、脳神経外科教授です。スポーツ活動中における頭部外傷、特に「脳振盪」についての権威で、脳神経外傷学会や臨床スポーツ医学会でご専門の脳神経外科領域で先頭を切ってこの問題を取り扱っておられる先生です。

「はじめに」には次のように述べられています。
「ラグビーや柔道で頭に衝撃を受ける、体操で高い所から落ちる、サッカーや野球、バスケットボールで勢いよくぶつかる、スキーやスノーボードで立ち木などに衝突する――。そのようなアクシデントで頭部にケガをすることを、頭部外傷といいます。
結果として頭の骨折や出血に至らない場合でも、衝撃によって脳が激しく揺さぶられると、脳の組織や血管が傷つく脳損傷や脳の活動に障害が出る脳振盪が起こります。
これまでスポーツ医学の世界では、頭のケガ、特に脳振盪に関してはブラックボックスのようなところがありました。それが近年、ようやく注目されるようになったのは、フィギュアスケートの羽生結弦選手の転倒による脳振盪(2014年)、大リーグ(MLB)の青木宣親選手の死球とフェンスへの激突による脳振盪(2015年)などが大きく取り上げられたということもあるでしょう。
それは以前にも、たとえば全日本柔道連盟(全柔連)が20年ほど前に事故に関する調査をしてデータをとりました。すると学校教育現場では、100名以上が命を落とすような頭のケガをしていたことがわかりました。
結局、それは大きく社会に公表されることはなかったようです。現在と比べ、昔はスポーツでのケガなどネガティブアスペクトは、見て見ぬふりをする傾向にあったのです。…しかし現在は、広くリスクを開示し、当然ながら事故に対して真摯に向き合わなければいけないという流れが出てきました」

『「脳振盪」といえば、単に「頭を打って気を失うことでしょう」と考えている人がたくさんいます(医師にもいます)。しかし、それだけでは「脳振盪」を正しく理解したことにはなりません。次のような5つの症状も含めて理解する必要があります』と書かれ、「脳振盪の5つの症状」について説明が加えられています。
1 意識を失う
2 健忘、記憶障害
3 頭痛
4 めまいやふらつき
5 性格の変化、認知障害

この本の目次は次に載っています。
http://www.taishukan.co.jp/book/b241789.html

この本を読むと、脳振盪を発症する機序(メカニズム)がよく分かり、その危険性を理解することが出来ます。
「本書のまとめ−10の提言」も役に立ちます。
 1 頭をぶつけなくても、脳のケガはある
 2 倒れた選手はすぐサイドラインへ
 3 血が出た場合の処置
 4 変な症状があったら脳振盪を疑う
 5 意識消失・健忘があったら病院へ
 6 打撲後は何度も頭痛や吐き気の確認をチェック
 7 帰宅後24時間は、1人にしない
 8 24時間は休み、症状がなくなってから段階的に復帰する
 9 いつまでも頭痛が続くなら、もう一度頭の検査を
 10 頭蓋内にケガを負ったら、競技復帰は原則禁止

2008年5月に起きた柔道の頭部外傷事故で、少年柔道教室の指導者に片襟体落としという技で投げられた小学校5年生の少年が遷延性意識障害(植物状態)を負いました。この事故は、被害者が頭を打っていないのに急性硬膜下血腫になったということと、民事裁判によって2億8千万円で和解した後、刑事裁判でも有罪判決が出たということで画期的なものでした。
「揺さぶられっ子症候群」もそうですが「加速損傷」ということで、頭を打たせていなくても脳の架橋静脈が破綻することに対する注意義務を果していなかったということです。
合気道でも、昭和57年(1982)頃に大学のサークル活動で新入の女子部員が単独で後ろ受身の練習をしていて、300回程繰り返した時に意識を失ったという事故が新聞に載りましたが、今にして思えば「加速損傷」によるものではないかと思います。

また、「脳振盪を何度も繰り返していくと、将来、慢性外傷性脳症といったカテゴリーに入る可能性が高いので、引退したほうがいいかもしれません」、「頭にケガをして急性硬膜下血腫を起こした人は、絶対に同じスポーツに復帰させはいけない」と警鐘を鳴らされています。セカンド・インパクト症候群(セカンド・インパクト・シンドローム)というものの怖さについて、http://sports-doctor93.com/second-impact-syndrome/などを参考にして下さい。

そのセカンド・インパクト症候群によるものだと思われますが、平成4年(1992)に大学の春合宿で次のような事故が起こっています。
http://repository.tokaigakuen-u.ac.jp/dspace/bitstream/11334/249/1/kiyo_hw011-012_03.pdf
「翌3月10日は、午前6時に起床し、午前6時20分から、準備運動の後に武器(杖)を使用した練習が午前7時20分ころまで行われた。その後、大学構内へ移動し、朝食後、午前10時30分から第2体育館で、日頃の練習と同じく、準備運動・受け身の練習後に、2人1組となって、入り身転換、両手持ち呼吸法、座技第1教及び第2教四方投げ、正面打ち入り身投げの順に、主将及び副将による演武を挟んで各練習が行われた。Aは、卒業生である合気道2段のB(分離前共同被告)と組み手相手となり、上述の順序に従って練習を行った。Bは、Aを相手にしたのは当日が初めてであったが、四方投げの最中にAの息が上がってきたため、同人に対し乱れた着衣を整えるように指示して休息をとらせ、再度四方投げの練習を続けた。Aは、主将である被告Tの号令により四方投げの練習を終え、正面打ち入り身投げの演武を見学した後に、再びBと正面打ち入り身投げの練習を開始した。そして、午前11時30分頃、AとBが互いに技を掛け合って練習し、Bの投げが通算して3ないし4セット目に入ったとき(投げが約10回目となったとき)、Aは意識が朦朧となり、立ち上がろうとするも立ち上がれない状態となった。そのため、部員らがAを体育館の板の間に移動させて約5分間様子をみていたが、同人の意識がなくなり、いびきをかき始め、頬を叩いて呼びかけても応答しない状態となった。そこで、Aは、直ちに部員らによって、松山赤十字病院、さらに、愛媛県立中央病院へ救急車で搬送され、緊急手術が行われた結果右側頭部に急性硬膜下血腫が認められ、それを除去するなどの処置が行われた。その後も、Aは集中治療室で治療を受けたが、3月16日には肺炎を、18日には多臓器不全を起こし、意識が回復しないまま、翌19日午後2時5分死亡した。
 なお、本件事故から約1年前である平成3年3月5日、合気道部の春合宿中に、同部員Hが、上級生の部員を相手に組み手練習をしていたところ、頭部を数回畳で打ち、急性硬膜下血腫の傷害を負って入院するという事故(以下「Hの事故」という)が発生している。また、昭和62年8月にも、当時1回生が3回生の部員に練習中に投げられ、脳内出血で1週間程入院する事故が発生している」
これは、私の出身合気道部で起こった事故で、直接、加害者から聞いたところでは、四方投げの時に頭を打っていたかもしれない、というものです。裁判では、「(Aが)いつ頭を打ったか分からなかった」と答えていますので、加害者が安全と考えていた軽い頭打ちはあっても硬膜下血腫を引き起こす(と思っている)ような強い頭打ちがあったとは認識していないという答弁であったようです。
最後の入身投げの時は、抵抗なく(受身も取らず)投げられた(倒れた)後、立ち上がろうとしたということなので、私は、セカンド・インパクト症候群による事故だと推測しています。

それを裏付けるようなことが判決で触れられています。
『また、判決は、「頭部を床畳に打ちつけるような危険な練習が伝統的、恒常的に行われていたかどうか」については、「合気道部においては、少なくとも、本件事故前において、練習中に下級生部員が頭部を床畳に打つことの危険性についての認識が甘かったといわざるを得ず、その結果、練習中に下級生部員が床畳に頭部を打つことが稀とはいえない状況にあったことが窺え、(中略)、右認識の甘さが本件事故発生の下地となったとの批判は免れ難く、・・・同部の指導的立場にあった関係者には強い反省が求められる」としているが、最終的には、諸般の事情を考慮して、「上級生らが故意又は重大な過失に基づき下級生の頭部を床畳に打ちつけるような危険な練習が伝統的、恒常的に行われていたとまでは認めるに足りない」としている』

この裁判の初審で、加害者は賠償金を支払うことで和解しています。主将も訴えられましたが、二審では将来がある身なので、ご遺族にお願いして外して頂きました。この論文の要約に「大学の課外クラブ活動においては高度の自主性が求められること、これに参加する学生は自主的判断能力・自立的行動能力が備わっていることから、個々の具体的なクラブ活動については、原則として学生が自らの判断で対処し、自分自身で責任を負うべきであり、大学は事故防止の直接的、具体的な安全配慮義務を負うものではない。こうした判例の考え方は、大学の課外クラブ活動の実態を考慮するならば、おおむね妥当なものと評価できる」と書かれていることは、大学(と顧問)の責任に対する判決の妥当性を論じています。

事故が起こってしまうと(起こしてしまうと)、命を失ったり重い後遺障害で、被害者だけでなく家族も大変な重荷を負います。事故前は和気藹々としていた部員や会員の間でも被害者のことを思う人と加害者を擁護する人に分かれ、乖離が生じます。
私も、先輩として時々、指導をしたことがあり、この春合宿には『合気ニュース』の事故事例を持参して、安全配慮を促すつもりで駆けつけましたが、合宿所に着いた時は事故を起こしてしまった後で、その時の何とも言えない気持ちを25年間引きずっています。
参考:「合気道における事故の研究」(合気ニュース80号と同一内容)
     https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/21/1/21_60/_pdf
    合気ニュース80号の抜粋 http://ameblo.jp/lomeon/entry-11525511018.html

私は、再発防止や予防のためには、過去の事故情報を共有すべきだと思います。文部科学省で情報をまとめたというような公的なものは発表されていませんが、次のサイトが参考になると思います。
学校リスク研究所 http://www.dadala.net/index.html
全国柔道事故被害者の会 http://judojiko.net/

「合気道は安全な武道です」と言えるためには、「安全配慮をすれば」という条件が付きます。この本に書かれているようなことを指導者が知っていることは勿論必要ですが、合気道の稽古方法が組み稽古なので、広く合気道の稽古をしている人が読んで、相手にケガをさせないような安全配慮をして頂きたいと思います。

参考(激突事故):事故防止、用心にまさるものなし https://note.mu/doushuppan/n/n2e138d52cbd4

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