2016年01月01日

開祖の合気(15)

合気道の理念や理合を行動レベルまで落とし込んだものが合気の稽古になります。大変重要かと思いますので、稽古の実効を上げるために(実効性を高めるためではありません)もう少し踏み込んで稽古法について考えてみましょう。

「三元とは剛柔流でその働きは又三つの働きとなる。即ち生産霊(いくむすび) 足産霊(たるむすび) 玉留産霊(たまつめむすび)の働きである。気を起こして流体素、あらゆる動物の本性である。柔とは柔体素で、植物の本性又肉体のように柔らかいものである。剛とは剛体素、大地や岩石のような固い物、鉱物の本性である。これらの上にあって、気によって活動している。気にも悉く剛柔流の働きがある。そして動いている」(『武産合氣』p.161)

この道文を斉藤守弘先生の固体技法、柔体技法、流体技法、気体技法に結び付けると、順に剛、柔、流、そして気の技法、働きになると思います。
『合気道―剣・杖・体術の理合』第五巻のp.35辺りから引用します。
・剛 「固体(基本)技法の体捌きは、双方が静止した状態から技を始める方法である。この静止した状態は、相手に数歩ゆずって片手、両手、肩、胸など完全に取らせた最悪の状態である。この状態から無理なく自分から動いて相手を導き、制する訳である。…固体技法の体捌きは、自ら一歩側面に入って導くことが大事である」
・柔 「柔体技法の体捌きは、例えば片手取りであれば、相手が手首をしっかり握った時には既に体捌きが始まっているというように、“流れ”の技法と固体技法との中間的な捌き方である」
・流(気) 「流(気)体技法の体捌きは体を捌いて相手の気を流し、その流れに同化(同調)する捌き方である」

「気を起こして流体素」ですから、流体技法は、別名「気の流れの稽古法」と理解して良いでしょう。

そして、気体技法は「気形の稽古法」、「(相手を腹中に吸収して一体となる)気結びの稽古法」又は「引力の錬磨の稽古法」として、区別して理解したいと思います。武産合気の神示の「皆、空に愛の氣を生じて一切を抱擁する。之、武産なり」や「武産の武は、形より心を以て、本とし、之の魂のひれぶり、武としての活躍なれば、之(スの)大神の愛の氣結びである」と照らし合わせると、「武産合気の稽古法」と呼んでも良いかと思います。

体捌きで説明されていますので、いわゆる「楷書、行書、草書」と考えることも出来るでしょうが、「気にも悉く剛柔流の働きがある」ですから、これらを気の側面から眺めてみましょう。しかし、一言で「気」というと意味が曖昧になるので、稽古に取り入れやすい意識という面で捉え、物理学、力学的な法則も当てはめてアプローチしたいと思います。

どんなに気といっても、固体技法や柔体技法では接触点があるので、接触点を動かせばF=ma(力Fは、質量mと加速度aに比例する)という運動の第2法則に従った力が接触点を通じて相手に加わります。流体技法や気体技法でも、投げる時や押さえる時に接触点が出来れば同じ法則の支配下に置かれます。
力(F)が加わった点(接触点)には、必ずこれと逆向きの力(−F)が発生します。これを作用反作用の法則(運動の第3法則)ということは中学校の理科で学んだことです。反作用の力は、必ず作用する力と同一線上(同一作用線上)にあって、大きさが等しく、向きが反対になっているというのがこの第3法則です。

相手と組む前に肩を上げてからストンと落として脱力してから手を取らせたりしても、いざ取らせた手を上げようとすると力が入ってしまい、相手(受け)が上級者であれば、「もっと肩の力を抜いて」と注意を受けたりします。それで、再び肩を上下させ、目をつむって、今度は無念無想になったと思って技を施そうとしますが、どうしたものか上級者のようにスムーズに動かせません。力がぶつかるのはこの作用反作用の法則によるので、これでは「いつまでたっても合気道は難しい」と感じたまま長年稽古を続けることになります。

この法則から抜け出すためには、接触点に力を入れないことです。言葉を換えれば、同一線上で相手の力が返って来る接触点を動かさないようにすることです。更にいえば、相手が、こちらの力が伝わって来ると予測している点(相手の気が込められている接触点)を動かそうという意識を持たないことです。
そのために、指先から気を出して臍や臍下丹田を意識して体を捌く、というようなことをしていると思います。その時に動かしている場所が接触点でないというところがポイントです。
固体技法や柔体技法で投げる時にも、例えば入身投げであれば、相手の首に接触している自分の腕で相手を押し倒そうとしないことも同じ理屈です。この段階では、指先を張ってとか、指先から気を出してと教えられていると思います。腕ではない指先に自分の意識を持って行くことで、力を加えようと意識している位置(自分の指先又は指先の方向)と自分の腕と接触している相手の首とが同一線上に来なくなる(同じ接触点で作用反作用の力が生じなくなる)ので、軽く技が施せるようになります。
入身投げ.jpg


柔体技法では、手首を取らせるのであれば、その隣の関節である肘を柔らかく動かすということで、体捌きは固体技法と同じです。接触点の力を0(ゼロ)にする、と理解している人もいると思いますが、そうすることにより作用反作用の法則が当てはまらない状況を作り出しています。固体技法よりも、自分の動き出すタイミングも早くなっています。
これを、相手を無力化するとか無抵抗にすると考えると、万有愛護の心から外れます。出来れば相手を制するとも思わないで、相手と一緒に技を作り上げるというような気持ちであれば、次の段階に上がりやすくなると思います。この段階では、受けの側の人も何が何でも動かされてはなるものかという頑張り稽古をしないように、小指の方で握って、まず、合気道が上達するのに必要な体や動きを作りましょう。

流体技法は、「気を起こして流体素」ですから、手を取らせる前から心の中で8の字(∞、無限大の記号、繭形)を描きながら動くというように技の動き始めのタイミングが早い稽古法です。剣で打ち込ませる時の開祖の動きを傍で見ていると、動くスピードはゆっくりしているように見えますが、それで余裕を持って剣を避けてしまうので、動きの起こりが早いのだと思います。そのためには膝を柔らかく使うなど、剣道でいう膕(ひかがみ)、膝の裏を軽く伸ばすということも大切です。

気体技法は、相手が自分の手を取ろう、真っ向両断に斬り付けようとした時には、手が伸び、剣が振り下ろされる前に必ず心の中で「位置について」「用意」「ドン」ということを無意識下で行っているので、その気を察知して腹中に迎え入れる無抵抗主義、万有愛護の稽古になります。最初は真似事から始めても、意識して稽古している内にそれに近づいて、やがてそれを意識しなくなった時に相手の気が分かるようになるのではないでしょうか(https://www.youtube.com/watch?v=_vag_o-9Mas参照)。

柳生新陰流の活人剣(かつにんけん)では、「相手に十分に働かせ、相手の人中路(正中線)と、自らの人中路を合わせて(補足 相手の人中路が自分の人中路に飛び込んで来る)、自らの人中路を截(き)り徹す」ということですから、古くからそのような吸収して一体となる技法があったと思います。この活人剣について、柳生延春宗家は、「正しく使えば、百発百中勝ちます」と言われています。
このような活人剣の働きを知れば、八千代合気会の皆さんも、開祖の「合気の稽古はその主となる(主要なる)ものは、気形の稽古と鍛錬法である。気形の真に大なるものが真剣勝負である」という言葉を素直に受け入れられると思います。
posted by 八千代合気会 at 12:26| 日記

2015年12月28日

古事記 現代語譯 古事記(7)

武田祐吉が、「昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、この御三方は皆お獨(ひとり)で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました」と書いている部分は、本居宣長の古事記傳「天地(あめつち)の初發(はじめ)の時 高天原(たかまのはら)に成りませる神のみ名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) (訓高下天云阿麻效下此。「高の下の天は阿麻<あま>と読む、以下同じ」という意)  次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 次に神産巣日神(かみむすびのかみ) 此の三柱(みはしら)の神は みな獨神(ひとりがみ)成りまして み身を隠したまひき」の現代語訳です。

古事記の「高天原」を、武田祐吉は「天」と訳しています。一般的にはその理解で宜しいかと思いますが、開祖は「宇宙の姿、全大宇宙」を意味していると捉えられ、その宇宙と一体となることを説かれています。関連する道文を挙げてみましょう。
「高天原(たかあまはら)というのは、宇宙の姿である。宇内の生きた経綸の姿、神(かん)つまります経綸の姿なのである」(『合気神髄』p.111、『武産合氣』p.87)
「高天原ということは、全大宇宙であるが、ことごとく魂のふりかえによって、地上は立派な営みの斎場(さいじょう。神道で祭祀を行う清浄な場所、いつきのにわ)にならなければならぬ」(『武産合氣』p.59、p.77も同)
「天をさがしても地をさがしてもタカアマハラはどこにもありません。ではどこにあるのか。大宇宙がタカアマハラであります」(『武産合氣』p.72)
「生き通しの生命を腹中に胎蔵し(過、現、未の全部を引きしめて)、宇宙も悉く腹中に胎蔵して、自分が宇宙となるのであります。自分が宇宙と一体となるのであります。それはとりもなおさず高天原と一体です」(『武産合氣』p.70)

宇宙と一体(神人合一)なので高天原は自分自身にもなります。
「タカアマハラはまた自己であり、(補足 彼我の対立なく)みな共に手を取合って」(『武産合氣』p.98)

古事記の「高天原」を、開祖は「タカアマハラ」と読まれています。合気神社の例大祭であげる天津祝詞(あまつのりと)も「タカアマハラ」ですが、神社本庁の祝詞では「タカマノハラ」と唱えられているので、「訓高下天云阿麻效下此」と書かれていても本居宣長は当時の祝詞そのままに読みを付けたのではないでしょうか。
「全大宇宙を高天原と称す。…この義(こころ)を声にあらわし、タとは対照力(たいしょうりょく)、カは掛け貫く力(p.120 内部の光が輝いて来る)、アとは神霊顕彰(けんしょう、彰らかに顕る)、宇宙全く張りつむるなり。マとは全く張りつめて、玉となることをいう。またこの極微点の連珠糸(さぬき)となす。神霊元子が活気臨々(かっきりんりん)として活動している義(こころ。気は誤り)を称して、一言にハという。これは活気臨々、至大熙々(きき)というなり。またその造化の機が運行循環している義(気は誤りか。こころ)を称して、ラという。即ち循環運動のことである。 タ(対照力)  カ(掛け貫く力)  ア(神霊顕彰、而して宇宙為る)  マ(全く張りつめたる玉)  ハ(神霊活気臨々、至大熙々)  ラ(循環運行)  かくして至大天球成就畢(おわ)るというなり」(『武産合氣』pp.92-94)
「つまりタカアマハラは造化器官で、すべてのものを生み出す家なのです」(『武産合氣』p.120)

霊界物語でも主に「タカアマハラ」と読んでいますが、言霊で「タカマガハラ」と解いているのもあります。これらが開祖の言霊解の基礎となっています。
「ここに宇迦須美(うがすみ)の神(ウの言霊)⦿(ス)の神の神言(みこと)もちて、大虚空中に活動し給ひ、遂にオの言霊を神格化して大津(おおつ)瑞穂の神を生み給ひ、高く昇りて(補足 アの言霊を神格化して)天津(あまつ)瑞穂の神を生ませ給ひぬ。大津瑞穂の神は、天津瑞穂の神に御逢ひてタの言霊、高鉾(たかほこ)の神カの言霊、神鉾(かむほこ)の神を生ませ給ひぬ。高鉾の神は太虚中に活動を始め給ひ、東に西に南に北に、乾坤(けんこん)巽艮(そんごん)上下の区別なくターターターター、タラリタラリ、トータラリ、タラリヤリリ、トータラリとかけ廻り、神鉾の神は、比古神(ひこがみ)とともにカーカーカーカーと言霊の光かがやき給ひ、茲(ここ)にいよいよタカの言霊の活動始まり、高鉾の神は左旋運動を開始し、神鉾の神は右旋運動を開始して円満清朗なる宇宙を構造し給へり。茲において両神の活動は無限大の円形を造り給へり。この円形( まる)の活動をマの言霊と言ふ、天津真言(まこと)の大根元はこのマの言霊より始まれり。高鉾の神(タ)、神鉾の神(カ)、宇宙に現れ給ひし形( 神霊顕彰。ア)をタカアと言ひ、円満に宇宙を形成し給ひし活動をマと言ひ、このタカアマの言霊、際限なく虚空に拡がりて果てなし、この言霊をハと言ひ速言男(はやことのを)の神と言ふ。両神は速言男の神に言依(ことよ)さし給ひて、大宇宙完成の神業を命じ給ふ。速言男の神は右に左に廻り廻り鳴り鳴りて螺線形をなし、ラの言霊を生み給ふ。この状態を称してタカアマハラと言ふなり。高天原の六言霊(ろくげんれい)の活動によりて無限絶対の大宇宙は形成され、億兆無数の小宇宙は次で形成さるるに至れり。清軽なるもの、霊子の根元をなし、重濁なるものは物質の根元をなし、茲にいよいよ天地の基礎はなるに至れり」(『霊界物語』73-1-2)
「復(ま)たこの至大天球を全く張り詰めたる億兆劫々数の限りの対照力(たたのちから)は、皆悉く両々相対照してその中間(なかご)を極微点(こごこ)の連珠糸(さぬき)にてかけ貫き保ち居るなり。この義(こころ)を声に顕はして「対照(タ)」「掛貫力(カ)」「全く張り詰め玉と成る(マ)」といふなり。故(か)れこの至大天球は極微点の連珠糸なる神霊分子を充実して以て機関とし、活機臨々乎(かっきりんりんこ)として活きて居る也。この義を称して一言に「神霊活機臨々(ガ)」と言ふ也。復たその膨脹焉(ぼうちょうえん)として至大熈々(しだいきき)たる真相を一言に「至大熈々(ハ)」と言ふ也。復たその造化の機が運行循環しつつ居る義を称して一言に「循環運行(ラ)」と言ふ也。故にこのタカマガハラと言ふ六言の神霊機を明(あきらか)に説き明かす時は、天地開闢の秩序を親しく目撃したる如く聞く者の心中確乎として愉快に感得するに至るべし」(『霊界物語』75-0-2)

比較してみると、『霊界物語』75-0-2の言霊解にないアの言霊について開祖が「神霊顕彰、而して宇宙為る」(『武産合氣』p.120)、「神霊顕彰 宇宙全くはりつめる」(『武産合氣』p.93、p.120)という解を与えていることが分かります。これは『霊界物語』10-2-27の「アの言霊は天(あめ)也、海(あま)也、自然也、○(わ)也、七十五声の総名(そうみょう)也、無にして有也、空中の水霊(参照 水穂伝)也。これを以て考ふれば、吾(あ)とは宇宙万有一切の代名詞である」と同71-2-8の「これ即ち言霊学上(げんれいがくじょう)アの言霊活用だ。アは天(てん)なり父なり、大宇宙なり、大権威なり」から来ていると思われます。
アの言霊だけでも「天也、海也」「吾(われ。補足 アとも読める)とは宇宙万有一切の代名詞」ですから、古事記の「高天原」は合気道においては天だけでなく海(や地)、及び自己をも含んだ「大宇宙」という概念に繋がります。

タカアマハラを総括すると大宇宙という造化器官で、それに含まれる小宇宙である自己(という造化器官)と一体となり、その造化の機(エネルギー)が螺旋運動(円転)しながら運化する、宇内の生きた経綸の姿ということになり、それが神人合一した武産合気の働きになります。
これを稽古の中で生かすためには、開祖の言葉そのままに信じて、イメージを持つことだと思います。科学的には、量子力学で自然界に存在するものはすべて波動性を持つということで、その目で見ると皆同じで、一体のものです。そう理解すると相手も含めた空間に存在するものすべてが愛おしくなって来ることでしょう。その自然界(無限大の宇宙)の中心は自分の腹中にあると思うと対立心が消え、自ずと結べると思います。
また、時間的にも、神道の「生き通し」や「中今」、仏教の「今を生きる」という精神で、そのイメージを抱くことだと思います。科学的には、目で見て認識している今は神経伝達に要した時間だけ過去の世界なので、これは自分にとっても相手にとっても同じと理解して、勝速日(戸を開けるとサッと光が入って来る速さ)で、何か感じてから動くのではなく、何か感じた時には動き始めている位の感覚を持って稽古をすると良いのではないでしょうか。ビッグバンの最初の時に存在した素粒子が原子や元素、分子、そして物質に姿を変えて、今もそのまま宇宙空間に存在していると考えると、誰であろうと何事であろうと懐かしく感じて、万有(宇宙に存在するすべての物)に対して愛護の気持ちが湧いてきます。
posted by 八千代合気会 at 18:24| お勧めの本

2015年12月24日

開祖の合気(14)

9) 合気の稽古
「合気の稽古はその主となるものは、気形の稽古と鍛錬法である。気形の真に大なるものが真剣勝負である。武道においては本来、いわゆるスポーツ的試合はない。試合うとすれば生死をかけた試合となる」(『合気神髄』p.161)

「気形」は「きがた」と読みます。「気形の稽古」は「気の型稽古」ではありません。「気形」は英語ではそのまま“energy shape”や“energetic form”と訳され、“fluent attacks, tori(取り)will not allow to be grappled”(http://sanshinkai.eu/glossary/)という定義がなされています。『合気道―剣・杖・体術の理合』(斉藤守弘著)に述べられているところの気体技法の稽古になるかと思います。「相手の手、足に触れない…。気を導き、同化和合することを省略するものではなく、流体技法(気の流れの稽古)の極みが真の気体技法である。この技法は嘗て開祖が見せて呉れた技法である」(同書 第五巻p.36)という説明がなされています。
前掲の道文は『合気道講習会用テキスト』(https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1996/00224/contents/023.htm)にも載っており、また、「それから星哲臣に稽古をつけた時のことである。彼は柔道より出た者であるが、気形として前進法を教えている時、急に背負い投げを掛けて来たのである」(『合気神髄』p.162)と続いている文章からも、開祖の稽古でよく見せられた技法(稽古法)であったと思います。

YouTubeで「気形」「kigata」で検索すると次のようなものがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=S6_pEJGfJqY&spfreload=10
都城合気道錬成会H23冬季おさらい演武会 気形・気結びの舞の解説
https://www.youtube.com/watch?v=asVmUhh6Xxw
Katate Ryotetori - kotegaeshi (Kigata)
https://www.youtube.com/watch?v=0hPZ8iJwh5g
Kotegaeshi. Katate Ryotetori. Kigata
https://www.youtube.com/watch?v=huis5oZ2Lc8
Kiriotoshi. Katate Ryotetori. Kigata

開祖の演武や稽古では、次の動画の6:17 以降にあるのと同じような技法(気形の稽古、気体技法)が多見されると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=PaKHSjPlpys

「気形の真に大なるものが真剣勝負である」と述べられていますが、この真剣勝負はガチンコとかフルコンタクトとかいう意味での実戦勝負を指しているわけではありません。文字どおり生死を分ける真剣勝負では、常に勝つ(死なない)という絶対不敗が求められる故、自己を宇宙の中心に帰一して無敵(敵、即ち相手がない無抵抗主義)になるための気形の稽古が欠かせないのだと思います(真剣勝負の話の後に「先生はいつも勝ってばかりいられたのですか」という質問があるので、開祖のお話を聞いていた人は絶対不敗のお話をされていると理解していた。『合気神髄』p.162参照)。
そのような稽古をしようとする時のヒント(道文)があります。
「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする、自己の中に吸収してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのです」(『合氣道技法』pp.262-263)
「私は宇宙と一つ、私は何物もない。立てば相手は吸収されてしまう。植芝の合気道には時間も空間もない。宇宙(往古来今謂之宙、四方上下謂之宇。宙:時間、宇:空間)そのままがあるだけなのだ。これを勝速日といいます」(同書pp.260-261)
「植芝の合気道には敵がないのだ。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったらそれは間違いです。真の武道には相手もない。敵もない。真の武道とは宇宙そのものと一つになることだ、宇宙の中心に帰一することです。合気道では強くなろう、相手を倒してやろうと錬磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一すること、帰一しようとする心が必要になるのです」(同書p.261)

気形ですが、『霊界物語』に「気形透明」「気形透明体」という言葉があり、そこでは「きけい」と読んでいます。「透明な気体の状態」というような意味でしょうか。気形(きがた)の稽古の気形は、この気形(きけい)という意味と連なります。
「出雲国は何処諸(いづくも)の国と云ふ意義で、地球上一切の国土である。肥河上(ひのかわかみ)は、万世一系の皇統を保ちて、幽顕一致、神徳無窮にして皇朝の光り晴れ渡り、弘(ひろま)り、極まり、気形透明にして天体地体を霊的に保有し、支障なく神人充満し、以て協心戮力(きょうしんりくりょく)し、完全無欠の神政を樹立する至聖至厳至美至清の日本国といふ事なり」(『霊界物語』15-2-11)
「至大浩々漂々恒々として撒霧(さんむ)たる⦿(ス)の時において、その機約の両極端に対照力を起して、恒々湛々たるが故に、その至大の両極端に対照力を保ちて、至大悉く両々相対照してその機威の中間を極微点(こごこ)の連珠絲(さぬき)がかけ繋ぎ、比々(ならびならび)隣々(となりて)ヒシト充実極まり居る也。しかれども気形透明体なるが故に人の眼には見えざるなり。見えねどもこの連珠絲が霊気を保ちて初めて至大天球(たかあまはら)を造る時に、対照力を以て至大の外面を全く張り詰りて球となりし也」(同書81-0-1)

この気形の稽古については、「みだりに(補足 目に見える外の形だけを)真似ることは差し控えるべきであり、又、真似しても何の得にもならない筈である。ここまで練り上げるのが真の稽古であると思う。開祖は『わしは60年間固い稽古を続けてきたから、今日のわしが在るのじゃ』と、気体技法を行った後に我々に語っておられた事をお伝えしておく」(『合気道―剣・杖・体術の理合』第五巻p.36)と戒められています。
しかし、固体(基本)技法と気体技法がまったく違ったものであると思わないで、ある程度の型を覚えたら、気形の稽古とは何かという工夫を重ねるのが良いと私は思います。無抵抗主義ですから、無理矢理に自分の腹中(中心)まで相手を引き込まなくても相手が入って来てくれるのを迎え入れるという心(自己を宇宙の中心に帰一すること、帰一しようとする心・意識)の鍛錬は早くから取入れて、自分のものになるよう練り上げるのが良いと思います。

「過ぎし年、入門した或る武道家が道主(開祖)に向い、『私は過去六ヵ月先生について教えを頂いたが、残念なことにまだ極意の技を教えて頂かない。先生、極意技とは如何なるものか形だけでも見せて頂けないでしょうか』と言ったことがある。道主は呵々と笑いながら、『君は何を言っているのか。日々極意の技をやっているではないか。今日教えた入身の投げ技などは、極意中の極意だ。奇想天外な極意などというものは、武道に於てはあり得ないよ』と言ったことがある」(昭和32年刊『合氣道』pp.129-130)
開祖は、この極意の部分を技で示されるのと同時に、長々とした難しいお話の中で説かれていると思います。八千代合気会の会員の皆さんは、ここまでの「開祖の合気」にまとめたことを参考にし、日々の稽古の中で極意(理合)の技を意識し工夫して行きましょう。稽古相手から「吸い込まれるように感じる」という言葉が聞けるようになると、進展していることが分かると思います。

「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言霊(ことだま、ス声と理解すべきか)となり、一つの技となって飛び出すことが肝要で、これをさらに肉体と統一する。声と肉体と心の統一が出来てはじめて技が成り立つのである。霊体の統一ができて偉大な力を、なおさらに練り固め磨きあげていくのが合気の稽古である。かくしてゆくと、世の中の武道の大気魂が、その稽古の場所、および心身に及んで、練れば練るほど、武の気魂が集まって、大きな武道の太柱ができる。柳生十兵衛も塚原卜伝も、あらゆる古今の達人、名人の魂が全部集まり、また武道の気も神のめぐりによって全部集まりくるの理を知り、稽古に精魂をつくすべし」(『合気神髄』p.62、『武道練習』p.15が原典)
posted by 八千代合気会 at 14:28| 日記

2015年11月20日

古事記 現代語譯 古事記(6)

△○□には、もう一つの意味が込められています。
それは△○□で「アイキ」と読むことですが、八千代合気会の皆さんは「モチロ」と読むのよりももっと良くご存じのことかと思います。どうしてそう読むのかということは『合気道の王座』(1960年NTV制作の映画)の中に開祖が座学で教えられている場面が映されていて、そこから分かります。
次の写真がその座学の資料です。 
イキ(天の呼吸 地の呼吸)3.jpg


映画では、この図は模造紙に書かれていますが、昭和43年(1968)6月16日の武産合気教室で開祖が合気道の教学を講義された折には半紙のようなものに書かれているものを示されていたように記憶しています(確か合気道新聞でその時の写真を見たという記憶に基づいていますが、定かではありません)。したがって、合気道の教学の核心部分になるものと受け取って良いでしょう。
この資料には、一霊四魂三元八力の右に△○□(三元の図)、その右に「水火の結び」の図が描かれています。一霊四魂三元八力の働きにより宇宙全体の姿(△○□)が整い、アイキ(合気)が生まれた、ということになると思いますが、この映画では「天の呼吸と地の呼吸を人は受けて」という説明がなされていることが分かります。この水火の図の丸は「水」で出る息、四角は「火」で入る息を表わすものです。出典を辿れば山口志道の『水穂伝(みずほのつたえ)』に行き当たり、そこに「出息は水なり○(まる)なり 引息は火なり□(かく)なり」と書かれていることが分かります。
出息入息_水穂伝1s.jpg


山口志道によると、水火と書いて「イキ」と読むので、水火の図の横にフリガナが振られています(水=イ、火=キ)。一番上の丸と四角が重なった水火の結びの図は、合気道では天の呼吸と地の呼吸が合したもの、即ち武産合気を表わしています。

「それで天の呼吸、地の呼吸を腹中に胎蔵する。自分で八大力の引力の修行をして、陰陽を適度に現し、魂の霊れぶりによって錬磨し、この世を浄めるのです。吐く息は息_丸1.jpgである。引く息は息_四角1.jpgである。腹中に息_四角1.jpgを収め、自己の呼吸によって息_丸1.jpg息_四角1.jpgの上に収めるのです」(『武産合氣』p.134)

この丸と四角が重なった水火の結びの図は、水火(イキ)を「氣」とも読ませているので、開祖は、三元の図の△を天の気と説明されて対比されていると思いますが、三元の図の△は「天・火」を表わし、アイウエオ(天火結水地)でアが天なので、△をアと読みます。

「合氣道はまたアオウエイの五つの声の働きでもあります。これは水火(すいか)のむすびの二元に密接な関係があるのであります。神道でいう高御産巣日(たかみむすび)、神産巣日(かみむすび)の二神であります。この二つの流れ(螺旋のめぐり)の御振舞によって世界が出来るのであります」(『武産合氣』p.34)
「(大宇宙の)ご全徳を一つの剣にても天地の呼吸に同化する。即ち人として務めをするにも、息を出す折には丸く息を吐き、引く折には四角になる。そして宇宙の妙精を身中に丸く巡らし六根を浄め働かすのです。丸く吐くことは丁度水の形をし、四角は火の形を示すのであります。丸は天の呼吸を示し、四角は地の呼吸を示すのである。つまり天の気(三元の△、天=ア)によって天の呼吸(○、水=イ、日月の運行)と地の呼吸(□、火=キ、潮の満干)を合わせて技を生み出す( アイキ、即ち武産合気となる)」(『武産合氣』p.45)

如何でしょうか? 「△=ア、○=イ、□=キ」に込められた意味がはっきりとして来たでしょうか。私の説明が牽強付会( けんきょうふかい)でなく、開祖の教えの奥深いものを解きほぐすものになっていれば良いのですが…。

この部分は、次の道文と関連があります。単にアイキという言葉が出来上がったということではなく、武産合気、摩擦(連行)作用、呼吸力(水火、即ちイキの力。金剛力)という開祖が開かれた合気道の根本理念、理法、技法が出て来たという核心部分です。

「天の運化により修行する方法が即ち私の合気道であります。この一元より出てくる宇宙の営みのみ姿、水火のむすびつまり天の呼吸と地の呼吸とを合し、一つの息として産み出してゆくのを武産合気というのであります.…水精火台の生じる摩擦作用の模様と全く同一形式なのであります。…火と水の交流…天地の呼吸( 日月の運行により潮の満干が起ることを指す。合気道の摩擦連行作用)である」(『武産合氣』pp.43-44)
「天ノ浮橋とは火と水の交流である」(『武産合氣』p.134)
「呼吸の凝結が、心身に漲(みなぎ)ると、己れが意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感ずる。このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己れの周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すには、この妙用が必要である。こうして合気妙用の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。この摩擦連行作用を生じさすことができてこそ、合気の真髄を把握(はあく)することができるのである。」(『合気神髄』p.87)
「一挙一動ことごとく水火の仕組みである。いまや全大宇宙は水火の凝結せるものである。みな水火の動きで生々化々大金剛力をいただいて水火の仕組みになっている。水火結んで息(いき)陰陽に結ぶ。みな生成化育の道である。稽古は中心に立つ空気を媒介として己れの魂より結んで稽古をする。いまや天運循環している。稽古は水火の仕組みを練る、習うている。伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)二柱の神つまり天の道を行なう。統一が一番大切である。これは梅の花。これを充分に研究しなければならない。吐く息はエイーと、円」(『合気神髄』p.141)
「合気はまず十字に結んで天底(てんてい)から地底(ちてい)息(いき)陰陽水火の結びで、己れの息を合わせて結んで、魄と魂の岩戸開きをしなければならない。魄は物の霊を魄という、宇宙組織のタマのひびきが魂である。宇宙を動かす力を持っていなければいけない。天の運化が、すべての組織を浮きあがらせ、魄と魂の二つの岩戸開きをする。これをしなくてはいけない。そうでなかったら本当の人にはなれない。それには心の洗濯が大切である」(『合気神髄』p.88)
「また、地球修理固成は気の仕組みである。息(いき)陰陽水火の結びである。そして御名は伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の大神と顕現されて、その実行に移したのが合気、どんなことでも出来るようになってくる。高御産巣日(たかみむすび)の神、神産巣日(かみむすび)の神、心は丸く体三面に進んでいかなければならない」(『合気神髄』p.89)

開祖が、稽古の前、礼拝する時、いつも「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろず」と唱えられた、と伝えられています。
この時の開祖のお気持ちを推し量るには、次の道歌を詠めば良いかと思います。

「スの御親 七十五(ななそいつつ)を生み出して 森羅万象(よろずのもの)を造りたまう」(『合気神髄』p.27)
「⦿(ス)の御親七十五を生み出して 合気の道を教えたまえり」(『合気神髄』p.45)
「大御神七十五声(しちじゅうごせい)を生みなして 世の経綸をさづけ給へり」
「緒結びの七十五(ななそいつ)つの御姿は 合気となりて世をば清めつ」(『合気神髄』p.194)

開祖による古事記のこの部分に関連する説明は、大本の教え(宗教の教え)に付加する部分が大で、合気道にとっての重要な部分(教学)です。それで、開祖は宗教の教えと合気道(武産合気)とを対比して次のようにおっしゃられているのではないでしょうか。

「私の武産の合気は、宗教から出て来たのかというとそうではない。(宇宙の真理に基づいた)真の武産から宗教を照らすのです。未完の宗教を完成へと導く案内であります」(『武産合氣』p.192)
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2015年10月07日

開祖の合気(13)

8) 合気の魂の円(えん)
「円の働きのめぐり合わせが、合気の技であります。技の動きが五体に感応して、おさまるのが魂の円(原文は円の魂)であります。
円は皆空(みなくう)で、皆空の中から生み出すのが心であります。皆空とは自由自在のことであります。皆空に中心が生ずるとき気を生み出します。皆空の中心より無量無限の宇宙に気結び、生結びするのが魂であります。魂は一切を生み出すものであり、不滅の生み親であります。
(魂の)円を五体の魄(原文は魂)におさめると、技を生み出す仕組みの要素を生じます。産むは無限であります。すべてを豊かに満ちたる仕組みになすのが円の現われであります。
円は宇宙にある一切の万物生物を、気結び、生産(いくむす)びの形にて、生成化育し、守護の仕組みを生じさせます。世の中の因縁も円(まる)い動きのめぐり合わせであります。合気の武も円いのであります。
また、合気をもって物(魄)と心(魂)を合わせ、生き栄えていく仕組みをもつのが魂の円であります。宇宙の気はすべて魂の円におさまります。おさまるがゆえに技も無限に包蔵され、生み出すこともできます。これが合気の魂の円であります。
この魂の円がなければ栄え、また精進、魂魄和合のはこびはできません。これがなければすべて五体への還元はなくなるのであります。魂の円(原文は円の魂)の皆空は宇宙一体に帰します。
これは合気の武の根元( 合気の根源の項 参照)でありますが、魂の円を体得した極意には、相対の因縁動作を円に抱擁し、掌に握るごとく、すべてを吸収します。己に魂があれば、人にも魂があり、これを気結び、生産びして円の本義の合気を生み出させれば、円はすべてを統合します。いかなるものも自由にとけるのが円であります。
円の極意は皆空の中心をつき、技を生み出すことにあります」(『合気神髄』pp.120-121)

この「魂の円」は解説が必要かと思います。
これは合気道新聞第4号(昭和34年7月10日)の道文「圓(円)の本義」に載っているもので、第3号の空の気と真空の気の結びの説明に続くものです。「合気の原理」「合気の神髄」とも関連していて、開祖が体得された真の合気の道の根幹をなす部分だと思います。
道文には「魂の円」と「円の魂」という言葉が混在していますが、「魂の円」が正しいと思います。『霊界物語』にはなく、開祖の造語の故に用語の混乱が生じたのではないでしょうか。肉体(魄、五体)に重なった気の身体を「魂」として、この気の身体を天から(上から)見ると、中心を臍下丹田、又は正中線とした円形になっていると意識されるのと、この気の身体が螺旋に廻るので「魂の円」と表現されたのだと思います。
魂の円_s.jpg

まず、合気道新聞第3号(昭和34年6月10日「創造の武」、『合気神髄』pp.66-68「空の気を解脱して真空の気に結ぶ」)から関連のある言葉を抜粋します。
五体:「武は人のなす技に、喰い込み、喰い合せ、喰い止まって、その動きと働きに仕組んであります。これは五体(魄)の働きであります」
中心:「また、武は技(魄)と光(魂)を結ぶ事に力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。中心があるから動きが行われるであります。この中心は腹であります」

ここで、「皆空(みなくう)」ですが、般若心経にある「五蘊皆空」の「皆空(かいくう)」と同じ意味で、「知覚できる実体のない空(まったく何も無いのではなくて、何かを入れるスペースがあること)である」と理解して宜しいかと思います(http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-202.html参照)。
万有愛護の気持ちで立って、気の身体(魂の円)を皆空と感ずることによって、相手が自分を打とうとする気がスーッと中心にまで入って来てくれると思います。「宇宙の気はすべて魂の円におさまります」や「円はすべてを統合します。いかなるものも自由にとけるのが円であります」という説明もそうですが、次の説明も同じことを言い表されています。
「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする。自己の中に吸収してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのである。世界を一目に見るのである」(『合気神髄』p.15)

「皆空とは正しき身魂の和合統一のことなり」(『合気神髄』p.53)ですから、「合気道においては常に相手がなく、相手があっても、それは自分と一体になっていて、自在に動かせる相手なのです」(昭和32年刊『合氣道』p.201)となり、「皆空とは自由自在のことであります」という謂いになります。

「魂の円( 原文は円の魂)の皆空は宇宙一体に帰します(宇宙と一体になります)」とあることから、皆空の中心は宇宙の中心と一つになる、即ち「我は即ち宇宙」の状態になった時の我の臍下丹田(腹)であると分かりますが、皆空ということですから、空(から)にした己の腹中(中心)まで相手が入って来るのを妨げないことかと思います。
大本教の教えの無抵抗主義を表す次の図が良く出来ていて、相手を中心まで迎え入れているのが分かります(http://onido.onisavulo.jp/img/rm_blog/muteikousyugi.jpg)。
無抵抗主義.jpg

武産合気の神示に「皆、空に愛の氣を生じて一切を抱擁する。之、武産也」(『合氣道で悟る』p.43)とあるとおり、無抵抗主義になると「(相手と自分という)相対の因縁動作を円に抱擁し、掌に握るごとく、すべてを吸収します」で、相手の体の大小に関わらず自分の腹の中心に入って来てしまうのが不思議です。

「円の極意は皆空の中心をつき、技を生み出すことにあります」は、「合気道においては常に相手がなく、相手があっても、それは自分と一体になっていて、自在に動かせる相手なのです」(昭和32年刊『合氣道』p.201)と同じことを表現されていることが理解できるでしょうか。

吉祥丸二代道主が、「円転の理」として取り上げられた理は、この「魂の円」も意識されてのことかと思います。
「この動きは、合気道のいわゆる“押さば廻れ、引かば廻りつつ入れ”ということであって、常に自己が中心となった円転の理の活用である」(昭和32年刊『合氣道』p.36)
開祖よりも二代道主の動作を主体にした解説が分かり易いかもしれませんが、触れて制する合気道から吸収する合気道に持って行くには開祖の説明のとおりに心の働きを理解するのが王道かと思います。

この魂の円を詠んだと思われる道歌があります。
「あかき血に仕組む言靈此妙技 もちろと○を出だしてぞ生む」
「六合(りくごう、宇宙)の 内限りなくぞかきめぐり きよめの道は○ともちろに」

「もちろ」は「△○□」という合気道の体の動きを表す言葉で、開祖は「物の霊(魄、体)」と仰られています。現道主が、「入身と転換の捌き」とご指導されている体捌きであると理解するのが良いと思います。
そうすると「○」は△○□(もちろ)の一つではなく、魄と一体になった魂を表すもののはずで、「魂の円」のことだと推察できます。「まる」と読むより「えん」と読めば良いのでしょうか。
これらの道歌は戦後になって作られたもので、開祖が見出された真の武を詠われたものです。

「念を去って皆空の気にかえれば生滅を超越した皆空の御中心に立ちます( 天の浮橋に立つこと)。これが『武道の奥義』であります」(『合気神髄』p.80)
「魂の円」は、開祖の合気の奥義を表す言葉です。分かるようになるまで、何度も読んで考えましょう。
posted by 八千代合気会 at 23:50| 日記

2015年09月30日

古事記 現代語譯 古事記(5)

開祖の言葉は、『霊界物語』や『眞訓古事記』に記されている至大天球(たかあまはら、宇宙)の創造の範囲を超えて、更に次のように続きます。
「高天原(たかあまはら)というのは、宇宙の姿である。宇内の生きた経綸の姿、神つまります経綸の姿なのである。一家族も一個人もそれぞれ高天原であり、そして呼吸して生々と生きているのである。 高天原とは一口でいえば、全く至大天球成就すということになる。これ造化開闢(かいびゃく)の極元なり。高天原の意をより理解して、神の分身分業をなしてゆくところに合気道が出来るのである。
宇宙の気、於能碁呂(おのころ)島の気、森羅万象の気、全ての霊素の道をつづめて、そして呼吸を合わせて、その線を法則のようにして、万有の天の使命を果たさせるのである。そしてその道それぞれについて行うところの大道を合気道という。合気道とは、いいかえれば、万有万神の条理を明示するところの神示であらねばならないのである。過去−現在−未来は宇宙生命の変化の道筋で、全て自己の体内にある。これらをすみ清めつつ顕幽神三界と和合して守り、行っていくものが合気道であります。
宇内の活動の根元として七十五声がある。その一つ一つには三つの規則がある。生産霊(イクムスビ、△)足産霊(タルムスビ、○)玉留産霊(タマツメムスビ、□)である。
八力(動静、解凝、引弛、分合。対照力)がアオウエイ(天地結水火)の姿であり、国祖国之常立神(くにのとこたちのかみ、女神、地)の御心のあらわれである。豊雲野大神(とよくもののおおかみ、男神、天)との交流により伊豆能売(いずのめ、 五つは誤り)の神の働きが現れるのである。かくて八大引力が対照交流し動くとき軽く澄めるものは天に昇り、濁(にご)れるもの汚(よご)れるものは下へ地へと降った。天と地が交流するたびに、物化して下降、交流しては下降し、だんだん大地化してきた。これが玉留産霊(タマツメムスビ)の大神の神技である。生産霊、足産霊、玉留産霊の三元がととのうと、宇宙全体の姿が出来上がるのである。
合気とは、言霊の妙用であります。言霊の妙用は一霊四魂三元八力の分霊分身である」(『合気神髄』pp.111-113、『合気道新聞』第158号)

「生産霊(△)、足産霊(○)、玉留産霊(□)の三元が整うと、宇宙全体の姿が出来上がるのである」
聖書のヨハネ伝1章に「万物(よろずのもの)これに由(より)て造らる、造られたる者に一としてこれに由らで造られしは無(なし)」とありましたが、△○□の三元が整い、やっと宇宙全体の姿(宇宙を構成する基本的形象、万物)が出来上がったというのが、開祖が付け加えられている部分です。

「宇内の活動の根元として七十五声がある。その一つ一つには三つの規則がある」
七十五声に三つの規則があるということは、「真素美(ますみ)の鏡」にアオウエイの言霊がそれぞれ「軽、中、重」の三段に分れるという規則があることを指して言われています(http://terakoyajuku.jp/s10/018.htmlhttp://www.walaku.com/bbs144.htm参照)。水茎文字で表わすと、例えば、スは丸(○)の中心に点(・)がありますが、軽のフは点が丸の上部にあり、重のズは丸の下部にあります。
そして、これを△○□に適用すると「天の△が軽、○が中、地の□が重」で、産霊(むすび)の三神を当てると「△が生産霊、○が足産霊、□が玉留産霊」であるということだと思います。開祖は、三角が天(及び火)、四角が地を表わすと言われています(『武産合氣』p.37参照)。

「かくて八大引力が対照交流し動くとき軽く澄めるものは天に昇り、濁れるもの汚れるものは下へ地へと降った」
次の図を見ればこの部分の理解が進むと思います。
三元_軽中重.jpg

「(武産の)合気とは、(ス声とス→ウ→ア(天)・オ(地)と分れ、交流する)言霊の妙用であります。言霊の妙用は(天の数歌に示された)一霊四魂三元八力の分霊分身(としての働き)であります」
開祖は、△○□を「モチロ」と読ませています。モチロは「ヒフミ祝詞」の「も(百)ち(千)ろ(万)」で、「天の数歌」では「もも(百)ち(千)よろず(万)」です。△○□全体でモチロです。
「天の数歌(あめのかずうた)」の「一二三四五六七八九十百千万」は「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろず」と唱え、次のように天地剖判の様子を表わしています(『大地の母』10巻7章天地剖判、http://shoutakaamahara.blog.fc2.com/blog-entry-23.html)。
・ひと(霊交):一霊四魂/大宇宙の根源に独一真神(天之御中主神、ス神)がましまし、一霊のもとに四魂(奇魂、荒魂、和魂、幸魂)を統べておられる。
・ふた(活力):真神の営みである陰陽(高御産巣日神・神産巣日神)二元の組みあわせによって「八力」が生ずる。
・み(体):八力の複雑微妙な結合により、剛・柔・流の「三元」が生ずる。
・よ(世):泥海のような世界ができる。
・いつ(出):日月星辰(じつげつせいしん)や大地が誕生する。
・むゆ(燃):草木をはじめ、諸生物が萌えいでる。
・なな(地成):人類が生れ、地上の世界が成就する。
・や(弥):その世界がますます発展する。
・ここの(凝):充実安定を表わす。
・たり(足):完成の域に達する。
・もも(諸):さらにもろもろのモノが生ずる。
・ち(血):大造化の血が宇宙をくまなく巡り、生命力が満ちる。
・よろず(夜出):生成発展の光明世界が永遠に開けていく。
「之を大括して略解すれば、霊力体(れいりょくたい)によって世が発生し、水火(すいか)の呼吸(いき)燃え上り、初めて地成り、弥々(いよいよ)益々(ますます)水火の気凝り固りて完全無欠の宇宙天界は完成され」(霊界物語73-1-10)が一(ひと)から十(たり)までで、「△○□の三元が整い、宇宙全体の姿が出来上がる」が百千万(もも・ち・よろず)です。

△○□が「三角に入身して(構えて)、丸く捌いて、四角におさめる」という体の動きを表わすということは広く理解されていると思いますが、その意味で「初めは物の霊(体、魄)、物の霊というのは、モチロ(△○□)。モチロの気の熱せるは合気」(『合気神髄』p.89、合気道新聞 第96号、句読点を訂正、p.52 △○□の気の熟したるを合気)と開祖は説明されています。
「モチロの気の熱せる(=合気)」「△○□の気の熟したる(=合気)」は次の道文で示される「△○□が一体化して…、それが気の流れとともにスミキル(=合気道)」という状態を指しています。
「△○□が一体化して 三角丸四角の融合.jpg(△○□が重なった形象)となり、それが気の流れとともに円転してスミキルのが合気道じゃ」(平成11年刊『植芝盛平伝』pp.266-267)

△○□が一体化したものは、「これ、魂のモチロの中心であります」(『合気神髄』p.69)の「魂のモチロ」だと思います。
さて、それが日頃の稽古の中の何を指しているか、八千代合気会の会員には夜に昼に頭の片隅に置いて考えて頂きたいと思います。何だろう、もっと知りたいなと考えていると、ある時、ピンと来るものを感じるに違いありません。
posted by 八千代合気会 at 00:07| お勧めの本

2015年09月24日

開祖の合気(12)

6) 合気妙応(合気妙用。合気の妙用)
「合気道とは、天授の真理にして、武産(たけむす)の合気の妙用であります」(『武産合氣』p.28)
「技は、すべて宇宙の法則(天授の真理)に合していなければならないが、宇宙の法則に合していない技は、すべて身を滅ぼすのである。このような技は宇宙に結ぶことはできない。…宇宙に結ばれる技は、人を横に結ぶ愛の恵みの武ともなる。宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびき( 波動、呼吸)の槍を阿吽(あうん)の力によって、宇宙に拡げるのである。五体のひびきの形に表れるのが『産(むす)び』である。…呼吸の凝結が、心身に漲(みなぎ)ると、己が意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感ずる。このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲に集結して、列座するように覚える。これ即ち合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すには、この妙応が必要である」(『合気神髄』pp.86-87)
「次に自分の発声するのは発声と同時に宇内(うだい)の魂線にふれて、自己、発声せずとも、大いなる宇内は三音( ア・ウ・オの言霊、『合気神髄』p.111参照)を化して、丸く外部に拡がっていくのを覚えます。その次には一度言霊(ことだま)の発声するに従い、宇内(うだい)は自分に集まって来るのを覚えます。以上のごとき精神実在が明るく自分の周囲に、すべての霊が集結して列座するように覚えます。これすなわち、合気妙応の初歩の導きと存じます」(『合気神髄』pp.74-75)
「即ち人としてつとめをするにも、息を出す折には丸く息をはき、ひく折には四角になる。そして宇宙の妙精を身中にめぐらし六根を浄め働かすのです。丸くはくことは丁度水の形をし、四角は火の形を示すのであります。丸は天の呼吸を示し、四角は地の呼吸を示すのである。つまり天の気(愛)によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す」(『武産合氣』p.45)

精神の実在(霊)が己の周囲に集結して列座するように覚えることが合気妙応の初歩の導きであると言われています。丸く息を吐き、四角く息を吸うこと( 逆腹式呼吸による観想法)により、宇宙と一体になる(結ばれる)ことを表しているようです。
開祖の「天の呼吸、地の呼吸」は、山口志道著『水穂伝(みずほのつたえ)』の附言にある「天地は水火(いき<息>、しほ、<塩>)の凝(こり、凝結)なり。故に日月の運行(めぐる)は天の呼吸なり。汐の満干は地の呼吸なり」と同じ概念です。
「それで天の呼吸(日月の息)、地の呼吸(潮の満干)を腹中に胎蔵する」(『武産合氣』p.134)という道文も、宇宙と一体になることの説明です。

この合気の妙応(妙用)が次の「合気の神髄」に繋がります。

7) 合気の神髄
「こうして合気妙用の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋(らせん)して舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火( 魂魄)の結びを生ずる。摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。この摩擦連行作用を生じさすことが、できてこそ、合気の神髄を把握することができるのである」(『合気神髄』p.87)
「合気道は宇宙万世一系の理道であって、一元の元津御親神即ち宇宙の“す”のみ声生れる前、大虚空を作り、その営みより我国の古き神代よりの歴史を生命として、又この歴史を修行の根元として、まつりぎ( 真釣木、真鈎木。まつるぎは誤り。魂魄一体、水火の結びで、バランスが取れていること)の意義をあらわし、かつその実行実在の上に、天の運化により修行する方法が私の合気道であります。これを真の武術と心得まして、この一元より出てくる宇宙の営みのみ姿、水火のむすびつまり天の呼吸(日月の運行)と地の呼吸(潮の満干)とを合し、一つの息として生み出してゆくのを武産合気というのであります。それはどういうことかをいうかというと『す』と『う』の働きによって、自分というものは、この与えられた魂と肉体(魄)との不離一体の交流によって、腹の底から『あ、お、う、え、い』を身体の口より鳴り出さしめるところの形式と、水(魄)と火(魂)との動き、つまり高御産巣日(霊系)、神産巣日(体系)の二神の、右に螺旋(らせん)して舞い昇りたまい、左に螺旋して舞い降りたまう御行為によって、水精火台の生じる摩擦作用の模様と全く同一形式なのであります」(『武産合氣』pp.43-44)

摩擦連行作用(摩擦作用)は、連行という言葉から分かるように、受けが吸い込まれるような感じを受ける作用のことです。
私は、これが無念無想、精神統一というような意味での心身統一の力ではないと考えていますが、八千代合気会の会員の皆さんの理解は如何でしょうか。「御造化の御徳」は「愛の情動、人を横に結ぶ愛の恵み」ですから、愛の情動が十分に働いているものです。開祖が霊体統一と表現されるときには、霊(愛の情動)主体従ですので、そのような観点から後述の「合気の魂の円」や「合気の稽古」「合気の鍛錬」を理解すると良いと思います。

「水火のむすびつまり天の呼吸と地の呼吸とを合し、一つの息として生み出してゆく」という言葉は、「呼吸力」という言葉の元になっているものだと思います。山口志道は、「水火」と書いて「イキ」と読ませていますので、「呼吸力」は「イキ(水火)の力」であって、「気(火)の力」だけではなく、「水(魄)と火(魂)の結びの力」を表した言葉であると思います。
山口志道は、日月の運行(天の呼吸)が海水に働いて潮の満干(地の呼吸)を引き起こす現象からヒントを得て、天の呼吸、地の呼吸の概念を導き出した思われます。開祖が、この概念を引き継いでおられれば、潮汐力のように作用する力が呼吸力で、受けが吸い込まれるような感じを受ける作用を及ぼす力ということになります。

この結びの力が、開祖の合気の神髄です。

「いづとみづ十(あいき)と生りし黄金橋 富士と鳴門の仕組なるかな」(昭和35年(1960)日本テレビ制作の映画『合気道の王座』)
黄金橋が天の浮橋(水精火台)、富士(火)が中心(天之御中主神)、鳴門(水)が右旋左旋(高御産巣日神、神産巣日神)で、水(瑞、魄)火(厳、魂)の結び(十、合気)の力を詠んだ道歌です。
posted by 八千代合気会 at 22:34| 日記

2015年09月15日

古事記 現代語譯 古事記(4)

古事記の序文に相当する部分は、道文に「一霊四魂三元八力の大元霊が一つなる大神の御姿である。大神は一つであり、宇宙に満ちみちて生ける無限大の弥栄の姿である。すなわち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である。その大虚空に、ある時ポチ(ゝ)一つ忽然として現わる。このポチこそ宇宙万有の根源なのである。そこで始め湯気、煙、霧よりも微細なる神明の気を放射して円形の圏を描き、ポチを包みて、始めて「ス」の言霊が生まれた。これが宇宙の最初、霊界の初めであります。そこで宇内は、自然と呼吸を始めた。神典には、数百億万年の昔とあります。 そして常在(すみきり)、すみきらいつつ即ち一杯に呼吸しつつ生長してゆく、ゆくにしたがって声がでたのである。言霊が始まったのである。キリストが『太初(はじめ)に言葉ありき』といったその言葉がそれで、その言霊がスであります、これが言霊の始まりである。このス声は、西洋にはこれに当てる字はなく、日本のみにある声である。これが生長してス、ス、ス、ス、即ち上下左右のス声(+)となり、丸く円形に大きく結ばれていって(丸に十字の形)呼吸をはじめるのである。ス声が生長して、スーゥとウ声に変わってウ声が生まれる。絶え間ないスの働きによってウの言霊が生じるのである。ウは霊魂のもと物質のもとであります。言霊が二つにわかれて働きかける。御霊は両方をそなえている。 一つは上に巡って(ウァと)ア声が生まれ、下に大地に降って(ウォと)オの言霊が生まれるのである。上にア下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである」(『合気神髄』pp.110-111、『合気道新聞』第158号、2012年4月4日の「真の合気の道(2)」掲載)と詳しく述べられています。

開祖の説明は、次に示す霊界物語73-1-1 「天祥地瑞子 天之峯火夫の神」から取られています(ルビ付きの霊界物語はhttp://reikaimonogatari.net/参照)。
「天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ(ホチ)忽然と顕れ給ふ。このヽたるや、すみきり澄みきらひつつ、次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて⦿(ス)の言霊生れ出でたり。この⦿の言霊こそ宇宙万有の大根元にして、主の大神の根元太極元となり、皇神国の大本となり給ふ。我日の本はこの⦿の凝結したる万古不易に伝はりし神霊の妙機として、言霊の助くる国、言霊の天照る国、言霊の生くる国、言霊の幸はふ国と称するも、この⦿の言霊に基くものと知るべし。キリストの聖書にヨハネ伝なるものあり。ヨとはあらゆる宇宙の大千世界の意なり、ハは無限に発達開展、拡張の意なり、ネは声音の意にして宇宙大根本の意なり。ヨハネ伝首章(第一章)に曰く、『太初(はじめ)に道(ことば、 ギリシア語のロゴス)あり、道は神と偕(とも)にあり、道は即ち神なり。この道は太初に神と偕に在き。万物これに由(より)て造らる、造られたる者に一としてこれに由らで造られしは無(なし)』( 聖書の明治元訳の引用)と明示しあるも、宇宙の大根元を創造したる主(ス)の神の神徳を称へたる言葉なり。清朗無比にして、澄切り澄きらひスースースースーと四方八方に限りなく、極みなく伸び拡ごり膨れ上り、遂に⦿は極度に達してウの言霊を発生せり。ウは万有の体を生み出す根元にして、ウの活動極まりてまた上へ上へと昇りアの言霊を生めり。またウは降つては遂にオの言霊を生む。⦿の活動を称して主の大神と称し、また天之峯火夫(あまのみねひを)の神、またの御名を大国常立神言(おほくにとこたちのみこと)と奉称す。大虚空中に、葦芽(あしがひ、 葦の芽)の如く一点のヽ発生し、次第々々に膨れ上り、鳴り鳴りて遂に神明の形を現じたまふ。⦿神の神霊は⦿の活動力によりて、上下左右に拡ごり、⦿極まりてウの活用を現じたり。ウの活用より生れませる神名(しんめい)を宇迦須美(うがすみ)の神と言ふ、宇迦須美は上にのぼり下に下り、神霊の活用を両分して物質の大元素を発生し給ひ、上にのぼりては霊魂の完成に資し給ふ。今日の天地の発生したるも、宇迦須美の神の功なり。ウーウーウーと鳴り鳴りて鳴極まる処に神霊の元子生れ物質の原質生まる。故に天之峯火夫の神と宇迦須美の神の妙の動きによりて、天津日鉾の神大虚空中に出現し給ひ、言霊の原動力となり七十五声の神を生ませ給ひ、至大天球を創造し給ひたるこそ、実に畏き極みなりし」

更に遡れば、前述の大石凝真素美著『大日本言靈』(大石凝翁全集. 4 「大日本言靈」)や次の同著『眞訓古事記』などに辿り着きます。開祖の言葉の「神典」はこれらの書を指しています。
「抑々(そもそも)此世が未だ開闢せざりし極元の時には唯スといふ物が、至大浩々(ひろぎひろぎて)神々露々(ゐき)烈々恒々湛々(ゐき)として、十八稜團(こんぺいとう、 正方形6個と正三角形8個でできる立方八面体)の象(かたち)を造りて、ス…ス…ス…ス…ス…と呼吸(いき)をして億々恒々極乎として居たる者也。是を一言にスといふ也。故に現在のスも億萬劫々々年度の昔の人のス聲同一事成る。故に今スという聲を説く時は其の一切が明に爰(あらは)れ生れ出る也。言霊の巻を見れば明也。
其スの性質は蒸氣よりも煙よりも香よりも猶微細なるスといふ物也。此のスが人の一呼吸の間に、三百七十五息(ゐき)をしつゝ、浩々恒々(ひろぎひろぎ)てゐる故に、敢へて死ぬる暇がない( 生き通しに生き居る者也ける)。故に億兆萬々劫々幾々劫大約(おほつな)の昔より極乎として居る時に、至大浩々湛々の域に機が起り、十八稜團の瘤の麓の所に對照力が起る。此の對照力が幾々億萬劫々劫数の限り起り、全く張り詰めて球の形を顯はす。是を至大天球(たかまがはら)といふ也。此の天球の中心部に、即ち上下左右縦横無盡に起る對照力の中心點に大氣が結晶して地球と成りし也。此地球は至大天球の中心部に成り定まり玉ひし故に天之御中主神と名のり玉ふなり。故に天之御中主神は此の地球を以て御神體と定め玉ひ、此の至大天球を造營しつゝ、ひたし居り玉ふ氣形透明體なるスを以て、大御心とし玉ふ也」

ちなみに、ス声が拡がるこの部分は宇宙のビッグバンと捉えられますが、ビッグバン宇宙論が提唱されたのは1927年で、『大日本言靈』が大石凝翁全集で出版されたのが大正13年(1924)ですから、西洋科学(ビッグバン宇宙論)の影響は受けていないようです。
また、万葉集の言霊を詠んだ歌から、古くから言霊の力が認識されていたようですが、これは仏教の真言(マントラ)やキリスト教の聖書の言葉「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(創世記1章3節)からも分かるように日本に限ったことではないというのが定説のようです。
開祖の場合、幼少の頃、真言密教に関心を抱かれたとのことですので、真言の延長で言霊を抵抗なく受け入れることが出来たのではないかと思います。

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2015年09月09日

開祖の合気(11)

開祖は、「斯く打込んで来る敵に向かって、いつも自分の心に敵を包むやうな雄大な気持ちで対すれば、敵の動作を見抜く事が出来る。其の処で、それに合して右、或いは左に体をかはす事も出来る。又敵を自分の心に抱き込んだら、自分が天地より受けた処の道に敵を導く事が出来る」(『武道練習』)と教えられています。この文章は昭和8年(1933)のものですが、大正14年(1925)の黄金体と化す体験を踏まえて一段と工夫が進まれたことと思います。そして、神示を受けられた時にはどの方向を目指せば良いかがはっきりとされたのではないでしょうか。

「眞の武は武産の意義を明(あきらか)にするにあり」(武産合気の神示、『合氣道で悟る』p.44)
「稽古をば疑ふほどに工夫せよ 解(わか)りたるあとが悟りなりけり」(二刀流兵法問答)

それでは、『合気神髄』と『武産合氣』の中の合気に関連する言葉を順に拾い上げて、開祖の合気に対する理解を深めて行きましょう。
開祖の言葉は用語の定義が確かなので、自分の言葉でそれぞれの項目ごとに「合気の○○とは、つまり…である」というように概念化すると理解し易くなると思います。

1) 合気の起源
神示に「武産の武を、法座を以って使命付けられてゐるものは、汝一人以外に過去現在にない。この有難い使命を、精神を以って達成する様、努力を以って貫け」(『合氣道で悟る』p.34、43)とあります。この神示にある「精神」は「心を込めて」という意味ではなく「万有愛護の大精神」ということです。
「この至仁至愛の一大気の運化をもって合気の起源となす。ゆえに至仁至愛、万有愛護の大精神をもって合気とは名づくるものなり」(『合気神髄』pp.51-52)
「至仁至愛の一大気の運化は、また合気の起源であります」(『合気神髄』p.123)

多田宏先生の言葉の「対峙を超えた心から生じる大きな気の力」を「至仁至愛の一大気の力」「至仁至愛、万有愛護の大精神の力」に換えれば分かると思いますが、これが「過去現在(の武道界)にない」ところです。そして、これが開祖の合気の起源です。

「自己の愛の念力(念彼観音力)をもって相手を全部からみむすぶ」(『武産合氣』p.128)愛の働き(運化)が開祖の合気の起源(本)です。
「合気とは愛の力の本にして 愛はますます栄えゆくべし」という有名な道歌は、「合気とは愛が力の本にして 愛はますます栄えゆくべし」と読み替えると、「合気の起源」を詠ったものであることが分かります。

2) 合気の使命
「武とはすべての生成化育を守る愛である。でなければ合気道は真の武にはならぬ。…合気道の修行に志す人々は、心の眼を開いて合気によって神の至誠を実際に行うことである。…人を直すことではない。自己の心を直すことである。これが合気なのである。それはまた合気の使命であり、自己自身の使命でなければならぬ」(『合気神髄』pp.150-151)
「万有愛護の使命の達成を除いて、合気の使命は他にはありません」(『武産合氣』p.140)
「(スの)大神の御心(みこころ:愛)にかなう御経綸の武を生むのが合気の使命であります」(『合気神髄』p.73)

「正勝吾勝 御親心(みおやごころ)に合気して すくい活かすはおのが身魂ぞ」
吉祥丸二代道主が、「自己の人格形成を目指す求道でなければならぬ」とされた合気道で求める(数ある要素からなる)人格の第一は「万有愛護の心」を指しているようです。人が兼ね備えるべき智仁勇の三徳は「仁」を中心にということになります。

「愛」という言葉は日本語になりきっていないようです。“God is love”の“love”という英語も限定的な意味で使っているのではないでしょうか(Godを「神」ではなく、「救い主」「贖い主」と訳すと分かり易くなるでしょうか)。
マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と言っているので、関心を持つことが愛の行いになりますが、「すべての生成化育を守る愛」ということは関心を持って「育む」「慈しみ育てる(導く)」というような意味になるでしょうか。合気道の技であれば、相手を型に嵌めて制しようとせず、行きたい所に行かせるという無抵抗の技になると思います。
そのような技であれば、相手は心地よいと感じることでしょう。

3) 合気の根本の目的
「ただ強ければよい、負けなければよい、と力と力で争い、弱いもの小さいものをあなどり、それを乗り取ろうとする侵略主義になろうとしている、その魔を切り払い、地上天国建設精神にご奉公をするのが、合気の根本の目的なのであります」(『武産合氣』p.111)

相手も自分も心地よい稽古をすれば、その場がそのまま地上天国となり、道場を離れても隠すことのできない人格となって表われ、好感を持たれるようになることでしょう。

4) 合気の根源(合気の根元)
「伊邪那岐、伊邪那美の造化の結びの神の化身の現れである。無性(むしょう、魂、祭)と有性(うしょう、魄、政)の大原則ことごとく宇宙の営みの元を生み出した。それが合気の根元となる。つまり、古典の古事記の実行が合気である」(『合気神髄』p.19)
「この(草薙の神)剣こそ祭政一致の根源であって、武の現れである。合気の根源である」(『武産合氣』p.152)

この合気の根源は、「神人合一の結び」「祭(魂)政(魄)一致」「魂魄和合(後述の「合気の魂の円」の項参照)」ということのようです。「大東流の合気、合気道の合気」と言っている人の「合気道の合気」の元(根元)になっている概念、理合です。

5) 合気の原理(合気の理)
「植芝先生は、じゅんじゅんと私達に合気の原理を説明して下さる。『…真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙の中心に帰一する( 自己の中心に吸収してしまう)ことなのです。…』」(『武産合氣』p.192)
「全人類を大きく和合包摂し、総合渾一化して神人一体(合気の理)を傷つけないようにするところに、宇宙や万物の無限の発展完成が約束されている」(『合気神髄』p.36)
「合気道を修行する者は、また万有万神の条理を武道に還元さすことが大切なこととなってくるのである。それは万有万神の条理から来る真象を眺めることである。真象を通して合気道の技は、合気の原理( 真象、結びによる神人一体、宇宙組織の魂のひびきを神習うての無限の力)を通して創造することが可能であるから、どんな微妙なる宇宙の変化にも、よく注意していなければならない」(『合気神髄』p.38)

「神人一体」「神人合一の結び」「宇宙そのものと一つになる」が合気の原理(理合)であるとのことです。
posted by 八千代合気会 at 14:50| 日記

2015年08月19日

古事記 現代語譯 古事記(3)

「合気道とは大自然の絶対愛を基として…皆空の心と体を造り出す精妙なる道である」(『合気神髄』p.53)とおっしゃられている、合気道の基となる「絶対愛」の本源について述べられた部分だからです。

そのことが分かるためには、平田篤胤の時に国学の中に(禁書であった漢訳聖書を入手したことにより)キリスト教の聖書の知識が入って来て、言霊学が聖書の「太初(はじめ)に言(ことば、 ヘボン訳では「言霊」)あり、言は神と偕(とも)にあり。言は神なりき。この言は太初に神とともに在(あ)り、萬(よろず)の物(もの)これに由(よ)りて成(な)り、成りたる物に一(ひと)つとして之(これ)によらで成りたるはなし」(ヨハネ伝1章1-3節)から、言霊によって天地(万物)が造られたという考えに基づいていることを知っておくと良いでしょう。

言霊75声説は、中村孝道から高弟の望月幸智を通して、幸智の孫の大石凝真素美(明治6(1873)年までは望月大輔という名)に伝えられました。
中村孝道は、『言霊或問(ことだまわくもん)』で言霊について説明し、ス声を中心とした75声の1音1音に霊が宿っているとしています。そして、その声が組み合わされて万物の名となると言っています。
「又問、其言霊といへるものはいかなるものぞ。答て曰、是人の声の霊なり。夫(それ)人は七十五声出て、其声毎に義理備る。其義を号(なづけ)て言霊といふ。かく一声毎に霊有(ある)をもて、是を二声三声或は四声五声と組つらぬる時は、千万の名となり詞となりて、世の物事いひ尽さずといふ事なく、又さとし尽さずといふ事なし」(『言霊或問』)

大石凝真素美は、ス声(素の氣)が初発(はじめ)から存在していたものであり、それが澄みきり広がりきって形をなして行くと述べています。
「夫れ此の世の極元(こもと、開祖のいうポチのこと)を ス(素という偏〈へん〉に氣という 旁〈つくり〉の合成漢字を当てている)といふ物が極乎恒々(すみきり)至大浩々而(ひろぎきりて)、自然(をのづ)と十八稜團(とをまりやかどつぶ、大石凝真素美著『眞訓古事記』では「こんぺいとう」と読む)の形を備(そなへ)をり。湛々(ただよひて)玄々(ふかまり)黙々(ありつつ)、恒々(つららぎ)たりつ。其(その)スと云ふ質(もの)を蒸氣(ゆげ)よりも煙よりも香(きり)よりも猶々(なほ)微細(こまか)なる神霊元子(こえのこ、声の子、言霊)が至大浩々(ひろぎきり)の域(ところ)にカミ充實(つまり)に實相(つまり)きりて、幾々(ゐくゐく)却大約(おほつな)の昔より生き通しに生き居(お)る者也ける」(『大日本言靈』)

また、この「スという物(ス声)」が凝結して天之御中主の神となったと説明しています。
「抑(そもそも)此世の大元素は 其(その)至始元の時に⦿(丸にポチの表象は水茎文字の「す」)と謂ふ物あり。神々 霊々 浩々 湛々として 至大 至誠矣(なり)。極乎として純なる物矣。然り而して 其中心(ただなか)が定まりて 動かざる也。其中心の動かざる所に霊氣が凝結して地球と成りたり。其名(な)を天之御中主(あめのみなかぬし)の神と謂ふ矣。故(か)れ天之御中主の神は 此地球を以て神體(からたま)とし 至大天球を以て 神霊魂(みたま)とし玉ふ矣(なり)。
○ 然り而して 中心なる地球より 右に螺旋して 天底に昇騰する 氣機あり。其名を高皇産霊の神と謂ふ矣。亦天底より 左に螺旋して 地球に降り着(つ)く氣機あり。其名を神産霊の神と謂ふ矣。然り而して経緯 輪廓 條理 脉絡 明細に組織し、極然として濔縫(弥縫、びほう) 紋理する矣」(『弥勒出現成就経』)

この言霊学は大石凝真素美から出口王仁三郎聖師に伝えられますが、王仁三郎聖師は、一時、キリスト教に傾倒したこともあってか、はたまた万教同根の考えからか、キリスト教の教義・概念を多く取り込みました。それでス声を「主(ス)の神」とも呼ぶようになります。
キリスト教では、キリシタンの時代に「デウス(Deus)」を「天主」と言っていました。現在も神様(Lord)を「主」と呼んでいます。ここから「主の神」が導き出されたようです。大本教や大本教に連なる多くの神道系宗派では「主の神」を「スの神」と呼んでいます。「ス」は最初に発生した言霊ですが、「いろは歌」の最後の「す」でもあり、「我(われ、主なる全能の神)はアルパ(最初)なり、オメガ(最後)なり」(ヨハネの黙示録1章8節)とも合致すると考えられて「主(ス)の神」となっているようです。

道歌に「⦿(ス)の御親 七十五(ななそいつつ)を生み出して 合気の道を教えたまえり」(『合気神髄』p.45)とある「スの御親」が、その「主(ス)の神」のことです。合気の道は大自然の絶対愛(万有愛護の大精神)を基とした道であるということを示す道歌だと思います。
なお、『合気神髄』には「日の御親」と載っていますが、「⦿の御親」の誤りなので訂正して示しました。また、「御親」は『霊界物語』では「御祖(みおや)」と書かれています。最初の神という意味が込められているからです。

古事記の序文は、聖書の「元始(はじめ)に神(かみ)天地(てんち)を創造(つくり)たまへり。 地(ち)は定形(かたち)なく曠空(むなしく)くしてK暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり 神の靈(れい)水(みず)の面を覆(おほい)たりき (初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた)」(創世記1章1-2節)とよく似た部分だと思います。
国学で古事記を解釈する時、聖書のこの部分も影響を与えたのではないかと思います。聖書の「天地創造」と古事記の「天地開闢(かいびゃく)」や霊界物語の「天地剖判(ぼうはん)」との違いは、永遠に存在している神が天地(宇宙)を創造されたか、混沌とした中で最初の神が現れて天地に分かれたかということですが、あまり些細なことに拘らないで下さい。
出口王仁三郎聖師の「主(ス)の神」は天地創造の神と認識され、至仁、至愛を備えられた御方とされています。
「さは然(さ)りながら天地(あめつち)を 造り玉ひし主(す)の神は 至仁(しじん)至愛(しあい)に坐(ま)しませば」(霊界物語20-99-2)

厳密に考えすぎなければ、「主の神」という呼び名はキリスト教・ユダヤ教の「主(Lord・ヤハウェ)」やイスラム教の「創造主(アッラー)」の呼び名と考えることが出来ると思います。そう考えると、合気道が世界的な広がりを見せる今日、抵抗なく神道を信じていない国の人々にも理解されるのではないかと思います。
言霊のス声が宗教的には主(ス)の神であって、万有愛護の存在であると理解して読み進めると、開祖の話の奥深いと言われるところが分かってくると思います。
posted by 八千代合気会 at 14:17| お勧めの本